要注意とは?/ セントラルファイナンス
[ 196] IEとFirefoxをインストールしている人は要注意--「非常に重大」なセキュリティリスク:ニュース - CNET Japan
[引用サイト] http://japan.cnet.com/news/sec/story/0,2000056024,20352586,00.htm
トラックバック一覧からリンクされているウェブページはこの記事にリンクしている第三者が作成したものです。内容や安全性について当社では一切保証できませんのでご注意下さい。 まだ20代の若い頃『そよ風の誘惑』と言うポップスが流行しました。歌っていたオリビア・ニュートンジョン,可愛かったなあ!清楚で上品と言う第一印象だったけど後年ジョン・トラボルタと一緒に『フィジカル』をリリースしたときに余りに印象が変わっていたので驚いた記憶… ※サービス名をクリックするとこのページをブックマークできます。また、人数をクリックするとブックマークしている人やコメントを一覧できます。なお、サービスによってはログインが必要な場合があります。 わかりにくいフォームはユーザーを戸惑わせ、離脱させてしまう。フォームのインタフェースデザインで利用できるセレクタと、各ブラウザの対応状況をまとめた。 グーグルは、こと検索クオリティに関しては複数の顔を持っているようだ。同社は、ABスプリットと呼ばれる手法を使って、同社のメイン検索ウェブサイト(簡素な検索ボックスと検索結果の両方について)どのような変更を加えるべきか検討している。 MNPの開始や割賦販売、インセンティブの廃止など、かつてない激動の時代を経験した携帯電話業界。販売店はどのような対応をし、ユーザーの動向はどのように変わってきたのだろうか?携帯電話売り場を担当するヨドバシカメラ マルチメディアAkiba店 マネージャの岩間 進氏に話を聞いた。 世界を代表するECサイト、アマゾン。日本でもその存在感は圧倒的です。ユーザーはどのようにサイトを使っているのか、そしてそこに死角はないのでしょうか。ユーザーの視点の動きから探ります。 前回のコラムでは携帯電話とPCの検索における5つの違いをまとめた。今回は検索キーワードの違い、検索エンジンの違い、公式サイト・一般サイトの区別について、実践的な解説を行う。 近年急成長を遂げたモバイルコンテンツ市場といえば、電子書籍やデコメール、最近ではメニュー等の着せ替えコンテンツだ。なぜこれらのコンテンツが今、伸びているのだろうか。 消費行動に関する調査を実施した結果、女性は男性に比べ、商品によって消費パターンを使い分ける傾向が強いことが分かった。また、2、3年前に比べ、衝動買いをする消費者は約15ポイント減少したことも明らかになった。 インターネット上での情報収集に関する調査を実施したところ、男女別に見ると、男性は「比較サイト」、女性は「口コミ情報サイト」や「サンプル・トライアル商品」を利用する傾向が強いことが分かった。 以前のコラムでは、市場概況をリサーチする上で最低限意識しなくてはならない4つのポイントを説明した。今回は、リサーチに関する7つのテクニックをご紹介したい。 ディスコ全盛期の1970年代、パーソナルコンピュータは電子工作マニアのガレージから出て、オフィス、教室、一般家庭に入り込んだ。ここでは、1970年代のビンテージコンピュータの一部を紹介する。 NHKはこのほど、インターネット上におけるコンテンツ不正流通への対抗策として、フィンガープリント技術を用いた新たなコンテンツ保護技術を開発した。NHK放送技術研究所「技研公開」で展示している。 TNT、ダイナミック・リコンフィギュラブル・プロセッサにおけるアプリケーション開発に関する講演を実施 「画質」でも「記録メディア」でも、さらには「保存方法」でも選べる今シーズンのビデオカメラ。その機能と |
[ 197] 要注意人物
[引用サイト] http://ryutukenkyukai.hp.infoseek.co.jp/yotyui1.html
・中国人の私は、大江による反日的政治発言を耳にした瞬間、一つ、奇妙な点に気がついた。この日本人の文学者が発した反日発言の一つひとつは、わが中国政府とその管轄下の宣伝機関が普段に行っている日本批判の言説と、驚くほど一致している、という点である。・・・・・これほど完璧な符号は、もはや「偶然の一致」などという言葉で解釈できる問題ではない。それはどう考えても「人為的」なものとしか思えない。 ・大江健三郎は中国政府、すなわち中国共産党政権が自分自身に何を期待しているかを十分に心得ており、それに迎合するために、一番良いタイミングを図って最善の努力を尽くした、ということになるのである。ひとりの自由な知識人であるはずの大江が、それほど権力側の心理を読み取るすべに長けており、これほど共産党政権に迎合するのに腐心しているとは、まさにわが目を疑いたくなるほどのショッキングな光景ではあった。 ・「会見」であろうと「接見」であろうと、要するに世界最大政党である中国共産党の最高幹部が一作家の大江健三郎と会った。そのことだけでも、中国共産党が大江をいかに大事にしているかがよく分かる。 たとえば大江と会見した4日後の9月15日、李長春は吉林大学で開かれた「思想政治教育工作会議」に指導者として出席し、大学生に対する「思想政治教育」の促進を指示している。9月22日には、中国共産党中央宣伝部など主催の「『江沢民文選』学習座談会」で彼は党の指導部を代表して講話を行い、「江沢民思想」の宣伝にいっそう力を入れようと号令をかけた。 李長春が破格な待遇で大江を「接見」した理由はそれでハッキリする。要するに中国共産党からみれば、大江健三郎の存在とその言動が、党の「宣伝」に大いに貢献しているからである。その「接見」はすなわち、彼の今までの貢献に対する「ご褒美」であり、「今後も頑張ってくれ」との激励の意味も含めたものであろう。 ・大江自身の従来からの「信条」や立場からすれば、じつはこの李長春こそは、彼が絶対会ってはいけない人物のはずである。というのも、今でも思想統制と言論の自由への抑圧が行われている中国共産党の一党独裁体制において、総責任者としてこうした統制と抑圧の指揮をとっているのは、ほかならぬ「思想教育」「宣伝」担当の李長春政治局常務委員その人だからだ。 本来なら、大江は、いかなる思想統制や言論弾圧に対しても身を挺して反対しなければならないのではないだろうか。しかし大江は、中国における思想統制と言論弾圧の総元締めであり、反民主主義的独裁体制の象徴たる人物である李長春との会見にやすやすと応じた。しかも李長春と、穏やかな雰囲気の中で「友好」を語り合ったという。そこにはもはや「民主主義の価値観」もなければ、「戦後民主主義の旗手」もいない。「民主主義に勝る権威」どころか、「民主主義を圧殺する権威」である李長春政治局常務委員に恭しく「接見」されて、李長春の喜ぶような「表態」を行った大江健三郎。 中国共産党という独裁的権力に取り入るためには、民主主義の理念や原則さえいつでも抛り捨てられるのであれば、彼は単なる偽物の「民主主義者」であり、ただの「偽善者」ではないだろうか。 ・民主主義社会の中で「民主主義」を高らかに語り、独裁体制の敷かれる国では権力に平身低頭して媚を売る。それこそは、大江健三郎と彼を代表とする多くの「進歩的知識人」たちの真の姿ではないのだろうか。 彼らは実に良く知っているのだ。民主主義が定着したこの日本に於いては、たとえ国からの勲章授与を拒否したとしても、たとえ時の首相の靖参拝を厳しく批判したとしても、たとえ「反権力」の旗印を高らかに掲げて国家というものを恣意に貶めていても、政治権力は決して彼らに何からの不利益をもたらすことができないのである。(むしろマスコミに多く出られる!) 彼らの自由も人権も地位も名誉もいかなる権力からも傷つけられることはない。だから、権力に取り入ろうとする必要もなければ、権力者の機嫌をとる意味も無い。むしろその逆で、「反権力」と叫べば叫ぶほど、「民主主義」を標榜すればするほど、自由な知識人として彼らの名声はますます高まり、「進歩的文化人」としての彼らの商売はますます繁盛するのである。 つまり大江たちにとって、民主主義の理念は単なる飾り物であり、単なる商売道具なのである。必要さえあれば、彼らはいつでもそれらの理想、理念を抛り捨てて自らの魂を叩き売り、何の躊躇いもなく独裁的権力の手先になっていくのである。 実際、「進歩的文化人」は戦前の日本の植民地政策を内外の人民を抑圧したとして執拗に非難することがあっても、現在、思想統制と言論の自由への抑圧を行っている一党独裁国家を非難することはない。 戦前の政策を反省する最善の方法は、現在及び将来に生きる内外の人々の基本的権利を尊重する、民主的社会の構築への貢献だ。断じて、人民の権利を抑圧する一党独裁国家に謝罪することではない。 石平氏は「大江たちにとって、民主主義の理念は飾り物、商売道具であり、彼らはいつでもそれらの理想、理念を抛り捨てて自らの魂を叩き売る。何のためらいもなく独裁的権力の手先になっていくのである」と指摘されている。 中国共産党政権が何百人もの民主活動家を正規の軍隊で圧殺した天安門事件、法輪功の非合法化などは、言論人・知識人としては絶対に容認できない事件であるにも係らず、「進歩的文化人」がこれらを真剣に非難しないことがこれを証明している。 だが、くだんの『沖縄ノート』を読んで、その思いは砕かれた。大江氏は両守備隊長を集団自決の命令者だという前提で、「ペテン」「屠殺者」「戦争犯罪人」呼ばわりしたうえ、「ユダヤ人大量殺戮で知られるナチスのアイヒマンと同じく拉致されて沖縄法廷で裁かれて然るべき」と「最大限の侮辱を含む人格非難」(訴状)を繰返していたからである。(中略) 裁判は進行中だが、原告側は座間味村役場の援護係だった宮村幸延氏が昭和62年に、集団自決は当時の村役場助役の命令だったが、遺族補償のため梅沢守備隊長の命令として申請した事情を記して、梅沢氏へ渡した「詫び状」を提出した。梅沢氏の無実を証する決定的証拠といえるもので、文科省の検定でも援用された。 これに対し大江氏側は「詫び状」は宮村氏を泥酔状態に陥れハンコを押させたとか、守備隊長と記し実名は書いていないから特定できぬはずだtか、日本軍全体の非人間性に目を向けろ式の見苦しい弁明に終始している。 謝罪すれば許すというのは日本の美風だが、海外にこのような寛容の精神はない。謝罪は、すなわち自分達が悪いと認めたことであり、賠償につながるというのが国際的な常識なのだ。・・・反日、謝罪要求は近隣諸国の国家戦略の一つになっている。 ・憲法の起草に始まる時点から、普通の日本人の目には触れないところで占領軍当局との接触を持った。戦後の日本人の価値観、法律制度、とくに霞ヶ関官僚、政治家、ジャーナリスト、学者たち日本の枢要な立場に立つ人材に対して重大なマインドコントロール的な影響を与えた。特に今日の外務省の悪しき体質の一端は横田の直接的な影響なくしては考えられない。 ・日本人の国際社会観や世界秩序観がこれほどおかしなものになり、そしていまだにおかしいままなのは、この人物の責任である。集団的自衛権や憲法9条の問題にはなるべく触れないで、しかし現実には小手先でうまく対応していこうという思考傾向を学問体系にまで高めた人物と言われている。 ・東京裁判を全身全霊をもって擁護(連合国の復讐裁判を弁護するのだから、馬鹿としかいいようがない)し、昭和23〜4年までは自衛隊を完全に否定し、昭和天皇の戦争責任を追及しつつ天皇制に対しても廃止論的な「人民主権論」を主張していた(人民主権がいかに残虐なものか解かっていない)。 ・日本は諸外国、特に近隣諸国に対して侵略戦争をしてきたから深く反省すべきであり、反省の指標として天皇制廃止、東京裁判の受容、武装放棄が必要だという論理の持ち主(全く占領軍に媚びる思想の持ち主)。 ・現世的利益に非常に敏感な人物。高等小学校卒業後には一時、行商をしたり、中学校を卒業後には新聞配達をしながら勉強したり、苦学力行の人ということになっている。「私の一生」という自伝を読むと、「小さな現実に合わせていく体質」が最初からあったような気がする。負けん気が強くて勤勉な性格だが、宮沢俊義などと同様、「生活」ということを非常に重視する人生観を持った学者である(マルクスしかり、ルソーしかり。苦労するのは良いが、思想が卑しくなるのは頂けない。お釈迦様、キリストのようであってほしいものだ!)。 ・「諸国民の公正と信義を完全に信頼できる時代になったのだから軍備を世界に先駆けて撤廃する」という彼の理論は、戦後教育の「日本は世界に先駆けて理想を追求しているのだから、軍備は持たない。日本は決しておかしなことをやっているのではない」と子供たちに刷り込みつづけてきた思考と同じである。未だに有事法制が整備されず、集団自衛均はもっているけれども行使はしないという政府の憲法解釈と完全にこれ又リンクしている(現実を理想の世界と考えているのだから救いようがない)。 ・罪刑法定主義は、専制君主制のもとで、裁判がきわめて恣意的におこなわれたことに対する反動として、それを防止するために主張され、採用されたものである(中略)。かような恣意的な裁判が行われる可能性のない所では、この主義に固執しなくてはならぬということはない。 このように罪刑法定主義は国内法に限定すべきで国際法には適用すべきでない。その理由は国際裁判では恣意的な裁判が行われる可能性がないというのである。東京裁判の起訴状を読めば恣意性があるかないか解かりそうなものであるが・・・。 ・「重要なのは実質である。実質的に、犯罪としての性質を有するか、従って処罰されるべき理由があるかということである。もし実質的に十分な理由があるならば、形式上のささいな不備などは、しいてこだわるべきでない。まして、形式的な不備を理由として、法律技術的な立場から、実質を無視するようなことがあってはならない。 このことは、日本に関して、特に注意しなくてはならない。こんどの戦争で、日本は極端な侵略戦争を行い、その戦争中において、また驚くべき残虐行為を行った。戦争犯罪として、いま、その責任者が裁判され、処罰されようとしている。そこで、それを弁護するために、法における形式的な不備を利用し、法律技術的な立場から、実質を無視したような議論が行われがちである。 純粋な議論としても、それが正当なものでないことは、あえていうまでもなかろう。実際の結果からいっても、決して望ましいことではない。もしそのようにして、侵略的戦争に対する責任をあいまいにし、また暴虐行為に対するそれを放任するなら、日本の真の更正はとうてい期待されない。日本みずからの真の更正のために、かような議論はあくまでも排斥されなくてはならね」。 東京裁判で事後法的に認定された「人道に対する罪」を擁護する論理を提供した。この論理が東京裁判史観、自虐史観を蔓延させ、いまなお日本に中国や韓国、北朝鮮にさえ謝罪外交を繰り返させる遠因になっている。 ・現実の国際政治が「力」と「国益」によって機能しているという側面を何においても否定しょうとする。そのために日本は必ずおおきな挫折を蒙ることになる。 ・官僚の学問は、物事の大きな意味、本質がわからないために、つねに「目の前の小さな現実」に合わせる(対処療法)。そして与えられた問題処理をしていくのが学問(官僚の仕事)であるという発想から、ナイーブな理想を恥ずかしげもなく吐露し(ゆとり教育、生きる力等)、それが「知的良心」のように粉飾し、どうしても残るはずの深いジレンマ(教育の荒廃、学力低下等)を避けて結局、真の問題を解からなくさせてしまう。これは、個別ではなくて、日本社会全体に関わる問題として残っている。教育改革の寺脇 研氏の発言を見ていると正にこの通りである。 ・国家、国民を考えずに、自分の理想や理念を直に政策提言し、あわせて学者としての個人的栄達のために常に権力に近い所に身をおこうとした。その結果国家や社会の根幹を崩した。 ・欧米には、「契約説的な国家の成り立ちを説明する学派」と、「保守主義の立場から歴史の産物として国家を説明する学派」の二つの流れがあるのに、「日本の法学教育は社会契約説だけ」を伝えてきた。 社会契約説の説明だと、始めに個人、砂粒のような個人があって、それでは不都合が生じるので、個々人が社会契約を交わして国家という権力機構をつくるということになる。このつくられた国家は、「個々人の人権を保障するものでしかない」という議論です。 実に「機能主義的に国家を扱っており、そこにアイデンティティを見出すことは不可能」。自分たちに不都合であれば、一旦造った国家も倒してよいという論理です。自分達が国家のために何をするのかということではなく、国家は自分達に何をしてくれるのか、国家は必ず自分達に何か利益をもたらしてくれるものでなければならない。利益をもたらしてくれなければ変えればいいという論理です。「そのために死に得る国家」ではなく「そのために絶対死んではならない国家」ということである。このような思考に靖国神社が入る余地はない。 ・「国際社会は、あくまでも一つ一つの主権国家から成り立っている」。それが原点であり、原点しては変わりようがない。この考え方をさして欧米では「現実主義」というのですが、こういう国際社会観、国際秩序の意識を国民が確固として持たないと、全てが間違ってくる。 ・戦後の日本は、例えば経済の相互依存による平和論、国際司法による平和論、あるいは国際世論や国際機関による平和論があたかも新しい考えのように唱えられ、欧米では1930年代までに議論され尽くし、克服されてきたものを一から実験し直して、未だに結論をだそうとしない。 このタイミングが、まるでアメリカの意向を推し量ったかのようだった。当時、進行中だった東京裁判では、結局、起訴されたA級戦犯は有罪にならないのではないかとの懸念が戦勝国側に広がっていた。46年秋にニュルンベルグ裁判の判決があり、戦勝国側は犯罪の立件に失敗し、三人が無罪になっていたからだ。 東京裁判に関しても、世界中から正当性を疑う声が上がっていた。アメリカのメディアにたたかれて意気消沈しているオーストラリアのウエップ裁判長を、マッカーサー元帥が激励に訪れたという記録も残っている。 その空気を吹き飛ばそうとするかのように、日本人の法学者、横田が東京裁判を正当化、日本を有罪だと断じたのである。事実横田は占領軍の良き協力者だった。横田の日本有罪論はアメリカの主張の丸写しで、前年2月、ハーバード大学のグリュック教授が、ある雑誌に寄稿した論文の受け売りだった。 裁かれている日本人の、それも法曹界の権威である法学者から日本は有罪だとのお墨付きをもらったのである。東京裁判の流れは変わり、翌年、全員が有罪判決に処せられた。横田はその判決文の作成にまで協力している。 横田はアメリカ製の憲法の作成にも手を貸した。新憲法が発効した47年、それにあわせて『戦争の放棄』を上梓し、「今度、戦争が起きれば人類も文明も破滅する。すべての国が戦争を放棄するとともに世界政府、世界国家とでもいうべき国際組織が必要だ」と訴えた。およそ現実離れした世界国家論で、憲法9条を正当化したのだった。 横田の思想の底に流れているのは「脱国家・反国家」である。国家は平和の敵であり、すべての国の秩序は国際的な組織が律するべきであるというのが、横田の考え方だった。いまの言葉で言えば、グローバル社会、世界は一つという無邪気な理想主義である。横田の認識では、「来るべき国際社会では各国が仲良く交流し、軍備は必要ない。日本の憲法は世界に先駆けて、これをかかげたもの」で理想的な憲法だった。この一見もっともらしい戦争放棄論が、長らく自主憲法の制定を遅らせている原因の一つでもある。 戦後国益無視、対米隷属、謝罪外交の官僚が次々と生まれた背景にも、横田の大きな影響力があった。横田の教えを信奉した教え子たちが、東大法学部卒業後、官僚となり国を動かす。贖罪意識で近隣諸国にカネをばらまき、国家否定の横田思想で国益を顧みない。長いものには巻かれろとばかり、アメリアに追従する・・・。 横田もまた、大正の進歩的ムードのなかで青春時代を送っている。国家否定の思想も、当時の左翼的な考え方に影響された結果生れたものだった。 横田の東大的な体質は、その処世術によく現れている。GHQの占領政策のなかでうまく泳ぎ回り、戦後の民主主義、平和主義を上手に利用して地位を高めた。そこにあったのは単なる処世術である。 たとえばサンフランシスコ講和条約に関しては、最初は全面講和を唱えていたが、旗色が悪くなるとみるや、単独講和に宗旨変えした。日英安保条約についても、反対から護憲安保論、日米安保合憲論へと、時宜に応じて要領よく態度を変えた。 その論理は底が浅かったが、当時は知識人が混乱のきわみにあり、一見すれば横田の単純明快な論理は受けた。処世の術として、横田は学者タイプとして振舞っていたので信用もあり、法曹界で力を持つにいたった。 宮沢はこの論理を使ってGHQがつくった憲法を徹底的に擁護し、正当化した。ポツダム宣言受諾は8月革命なので、それまでの帝国憲法は、その時点で失効する。また、日本国憲法は革命によってできた憲法なので、以後、一切憲法の改正はできないとした。 96条の憲法改正条項についても、たとえ改正の手続きがとられたとしても戦争放棄などの憲法の原則には手をつけられない。それを変えるには、革命勢力が武力によって国会を占拠し、憲法の廃棄を宣言した場合だけだというのである。 なんと奇妙な論理だろうか。しかし、宮沢はこの論理を振りかざして憲法の制定、擁護に大きな力を発揮した。当時、宮沢は貴族議員でもあった。憲法学者でもある宮沢の意見の影響力は強く、議会の審議をリードした。 宮沢もまた例に漏れず、変節の徒だった。終戦直後の45年秋までは、なんと「ポツダム宣言を受諾したからといって憲法を変える必要はない。明治憲法下で民主化は可能だ」と主張していたのだ。それがGHQの肝いりでつくられた「政府案」が出されるや否や、護憲派に鞍替えする。「これほどすばらしい憲法はない。日本はこれで救われる」と。 ・国家、国民を考えずに、自分の理想や理念を直に政策提言し、あわせて学者としての個人的栄達のために常に権力に近い所に身をおこうとした。その結果国家や社会の根幹を崩した。宮沢は学者として一片の良心もなく、ただ共産革命の扇動のための嘘と詭弁を「学説」とすることに専念した人物であった(中川八洋氏)。 ・行過ぎた個人主義を助長し、家族の崩壊を招く元凶をつくったのも、東大の法学者たちだった。その張本人は、のちに文化勲章を受章した民法学者、東大法学部教授の我妻栄である。 我妻の考え方は「我妻民法学」と言われるほど、法律家の間で主流の一つになっている。我妻民法学の大前提は「個人だけが基本」で、個人以外の人間関係は、すべて手かせ足かせにすぎず、断ち切った方がいいとの考え方だ。 つまり、家族や国家などというものは、抑圧や害になるといっているに等しかった。こうした我妻の思想の背景には、マルクス主義の唯物史観があった。階級関係や経済構造が人間の価値観をも支配する。ゆえに人間関係は排除せよというのである。 我妻は戦後の民法だけでなく、数多くの法制整備に関わった。日本の家族制度がおかしくなったのも、こうした我妻の考え方が戦後の法律に反映されているからだ。 ・国家、国民を考えずに、自分の理想や理念を直に政策提言し、あわせて学者としての個人的栄達のために常に権力に近い所に身をおこうとした。その結果国家や社会の根幹を崩した。 1982(昭和57)年、鈴木善幸政権の下で「歴史教科書誤報事件」が起きた。同年6月、高校の世界史教科書に関する検定結果が発表され、文部省記者クラブの記者が検定申請時に、中国華北地方に対する「侵略」の記述を文部省が「進出」と書き換えたと誤報、全新聞が一斉に報道し、中国が外交問題として大騒ぎした。丁度その年の秋、鈴木首相の訪中が予定されており、中国の訪中拒絶に慌てた当時の官房長官、宮沢喜一は事実関係をろくに調べもせずに「政府の責任において修正する」と謝罪を表明。鈴木首相訪中後、「近隣諸国の国民感情に配慮する」といういわゆる「近隣諸国条項」を「教科書検定基準」に盛り込んだ。これが近隣諸国の日本の歴史教科書に干渉を許す契機となり、日本が謝罪国家へと転落する第一歩となった。 宮沢大蔵大臣は日銀の金利4%の引き揚げを提案する意向だったが、米国が反対だった。そこでサマーズ米財務長官が宮沢を呼びつけて撤回を要求したところ、宮沢はいとも簡単に同意し、従来通りゼロ金利を継続したという。 これ(近隣諸国条項)は国賊的な行為です。だから、宮澤さんに議会で「あれは私の誤りでした」と言ってもらえばいい。自分の国の歴史の最終決定権を反日的な隣国にあずけるというような馬鹿なことをする人間は、本来ならば死刑に処してもいいくらいと思います。 ・バブルをおこし、バブルを崩壊させ、2,000兆円だと言う人もいる損害を日本に与えたにもかかわらず首相になった人です。これは朝日新聞を敵に回さなければ、いかに日本国と日本人に損害を与えようとも、今までの日本では出世できたということを見事に示した例だと言えるでしょう。 ・来栖氏の発言は、政治の無責任を衝いた、きわめて真っ当なものであったのに、金丸氏は政治を改めるのではなくて、正論を言った当事者を切ることで問題を収束させたのである。(荒木和博著 「内なる敵を乗り越えて、戦う日本へ」草思社) ・『憲法九条を世界遺産に』(集英社新書)を書いた中沢新一もオウム真理教を弁護した一人です。オウム真理教の酔ったように第九条に酔えるのでしょう。 17世紀の後半にジョージ・フォックスという人が出ました。学のない人だったのですが、マコーレーの言葉を借りれば「自由にしておくには頭が狂いすぎ、精神病院に入れるには少し正気があった」というような人です。 自民党の中の朝鮮族議員。あの国がどれだけ陰湿で、執拗かつ計画的に人を騙しているのかを全く分かっていないんです。共産主義運動に関係した人たちは騙されないですよ。内側を見ているから。しかし、今名前を挙げたような人たちは、名誉と利益を与えれば、いくらでもごまかせるんですね。 敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗り越えて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私達の誇りであり、そのために注がれた国民の皆様一人一人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表すものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と努力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるにいたってことを、心から喜びたいと思います。 平和で豊かな日本となった今日、私達はややもすればこの平和の尊さ、有り難さを忘れがちになります。私達は過去のあやまちを二度と繰返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものにしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えに基づき、とくに近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この二つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取組んでいる戦後処理問題についても、我国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。 我国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害を与えました。私は未来に過ち無からしめんとするが故に、疑うべきもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらたねて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明します。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。 敗戦の日から50周年を迎えた今日、我国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを推し広めていかなければなりません。同時に、我国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。 コータッツイ:それを私が今、心配しているのは日米関係です。湾岸戦争に関連していることですが、議会で支援策が失敗したりしたら、日米関係がすごく悪くなってしまう。その点、私は日本社会党の態度が全く理解できません。 コータッツイ:土井委員長というのはどうしょうもない。土井たか子女史がバグダッドへ行ったことなど何の意味もありません。 司馬:つまり世界とか国家というものがわからない人が野党席にいるのです。国家は与党が運営せよ、野党は民衆だ、というところがありますが、これは観念です。国家は具体的ですから、気の毒な人を救いに行け、というのを観念で足を引っ張る。 政府が近所の八百屋の親父に「おまえは中近東に大根をもっていけ」と命令することはできません。当たり前です。それと同じレベルで、日本航空や全日空に政府が命令する権利はない。政府が命じることができるのは、国家公務員だけですから、自衛隊機だけということになります。こういう当たり前のことがおおがかりに憲法論になったり、平和国家の教議論になったりすることは、どうもおかしい。 景気がまだ本格的に立ち直っていないのに、引き締め策を講じて折角上向きかけた景気の腰を折ったという噂まである。 ・戦後多くの民族が独立したのは結果としてそうなったのであって日本が解放したというのはあたらない。そしてそれらの民族は、日本が戦争を始めなくともいずれは独立したのである。それは戦争の如何にかかわらず時代の趨勢だからである。⇒覚醒させた日本の役割を認めないわけだ。 この北支に親日と自治の気運が高まってくる。長城北側の満洲国の発展を知るにつけ、南京の国民政府による搾取から自由になり、第二の満洲国のようになりたいと北支の人々が望んだとしても不思議はない。暫くして生まれたのが冀察政務委員会であり、冀東防共自治政府であった。林氏は「歴史からの警告」(中央公論社)の中で、「日本は・・・北京を含む広大な地域に「冀察政務委員会」というものをつくって国民党勢力を排除した」と書いておられるが(164頁)、甚だしい事実歪曲である。冀察政務委員会は、北支将領の親日政権樹立を惧れた国民政府が、独立を先制するために慌てて作り上げた組織で、中華民国行政機構に属する歴とした支那側機関である。 ・この戦争に負けたことによって日本が独立を失うようなこともなかったのである。⇒馬鹿じゅないか。これで東大総長だって。 この独裁政権、軍事優先政策によって、北朝鮮国民は戦争もない平時に300万人以上も餓死させられている。金父子に同調しない国民を「政治犯強制収容所」に常時20万人も拘束している。北朝鮮の国民には自由は全くない。加えて日本人拉致だ。この現実が見えていないのだとすれば、それは政治家以前に、人間として失格の烙印を押されても仕方がない。 自国民が金正日政権に拉致されているのに、救出は後回しにして国民の税金で、拉致した国の最高権力者を食糧支援で助けてやる。北朝鮮国民から見れば、野中は「独裁の共犯者」ということになる。また、拉致された被害者家族からみれば、「敵」の手先と映るだろう。 拉致の解決よりも、従軍慰安婦や植民地支配や強制連行、困っている隣国にコメ支援が必要であると考えていることには論議の余地はない。 中朝の忠実な臣下たる野中広務の政治活動とは、首相の靖国参拝に反対し、防衛庁の省昇格に反対し、テロ特措法にも自衛隊イラク派遣にも反対し、自衛隊空中給油機導入を阻止し、在日朝鮮人に参政権を与えようとする主張し、その極めつけは平成11年8月の官房長官在任中に「中国・韓国の歴史教科書を日本語に直して日本の青少年の教育に活用するよう、文部省に検討させる」という発言を行なったことに尽きる。日本人を日本の教科書(もっとも『新しい歴史教科書』『新編日本史』以外は、ほとんどが既に中共マルクス史観!)ではなく、中共の歴史教科書そのもので教えよということだ。これが中共の属国化でなければ一体何だというのか。野中は引退したがこの「朝貢思想」を受け継ぐ政治家が今も与野党に多数存在しており、古賀誠なんかは遺族会会長のくせに、小泉首相の「8月15日参拝阻止」を中共に約束して官邸に圧力をかけ続けていた中共一筋の人物なのだ。自虐史観と謝罪外交を隠れ蓑にしての中共ODA利権に飢えた金の亡者たちが、今だ政界には蠢いている。政界には国民が誰も知らない「暗い闇」が存在するのだ(126頁)。 馬場(仮名):私は、媚中派の中では野中が最も嫌いなんだけれども、外務省から聞こえてくる話は、中国と交渉するときには攻めの姿勢だという。表には出さないけれど、裏で何かあの陰険な顔をして、京都弁でー当然通訳がつくんだけれど、「そうするとこうですか。あなた方がそう言うなら、こっちはこう出ざるをえなくなります」と、中国共産党の幹部がぐうの音も出ないまでに追い詰めたりするらしい。 日中交渉が外務省レベルで滞ると、外務省は野中に「お出まし願います」と頭を下げて、野中が向こうの幹部と直接交渉することも結構あったようです。野中は毀誉褒貶が激しいけれど、河野洋平や加藤紘一とはモノが違うということはたしかですね。 「江沢民閣下と故小渕恵三首相がともに語り合われた日中友好については、われわれは感動をもって聞いてきました。そのことを子々孫々、語り伝えていきたいと思っています」 ちなみに以上の野中発言はその江・野中会談に同席した公明党の冬柴鉄三幹事長が記者発表したとおりの言葉である。こんな歯の浮くような言葉も他の実質ある発言の前段となる外交辞令だったとすれば話は別だが、野中氏はこの会談で当時、日本にとっての重大関心事だった台湾問題や朝鮮情勢、日米共同防衛、さらには中国で活動する日本企業がさまざまな迫害を受けていた事実などについては、まったく何も述べていなかった。もっぱら江沢民閣下にへりくだった言葉ばかりだったのだ。 日本から頻繁に訪中する日中友好議員連盟の会長だった林義郎議員も橋本派の重鎮だった。日中緑化推進議員連盟の代表として北京内外で一生懸命植樹をしていた鈴木宗男議員も野中氏を通じて橋本派に加わっていた。これら橋本派の政治家たちは中国側の要人と会談しても、「日本には軍国主義の復活の危険がある」などという高説を拝聴するばかりで、中国側の問題点を指摘して批判するという姿勢はまったくないのが特徴だった。 ・森首相から外務次官までが賛成した李登輝氏の来日に最後まで頑強に反対した槙田邦彦氏はじつは野中氏や後藤田氏、橋本氏という橋本派の有力者からにそかに激励を受けていたことを周囲に明かしたという。 槙田氏と同様の親中派とされる阿南惟茂中国大使も橋本氏や野中氏から支援されてきた。阿南氏は2003年5月、瀋陽の日本総領事館に保護を求めた北朝鮮の難民一家を追って、中国警察が侵入した事件でまったく腰の引けた対応しかできず、日本国内では激しい非難をあびたが、橋本、野中両氏は「阿南大使は立派だ」という支持声明を出したのだった。 「私は経過措置として国連軍を作り、世界中の軍備を国連軍にシフトさせ、各国固有の軍はなくしていくべきだという考えです。国連軍には当然、日本も参加するのですが、その時は無国籍であり、憲法9条を改正する必要はありません」 ・「植民地支配を植民地支配と認め、それによってもたらされた苦痛にたいして謝罪し、必要な補償を行い、反省を未来にのこすことを表明する必要がある」と主張する”朝鮮政策の改善を求める会”の世話人。 ・慰安所の設置と経営、慰安婦の輸送と分配に軍が関与したことは文書的に確証された事実であり、植民地朝鮮、台湾での慰安婦の獲得について、官憲の加担があったという証言は信頼しうるものと認められています。シンドネシアでのオランダ人女子の場合、強制されて慰安所に送られた事例が少なからず確認されており、フィリピンや中国では前線の部隊による女子拉致、監禁、継続レイプが広く行われたことも確認されています。河野官房長官談話は政府が堅持するものであり、その河野談話に立脚した政府はアジア女性基金を設置し、これらの被害者に対する償いの事業を国民と協力して進めました。1996年より2004年まで、橋本、小渕、森、小泉の4代の総理大臣は一人一人の被害者にお詫びの手紙を送られてきたのです。 第二に、安倍さんは、総理におなりになったら、慰安婦問題での河野談話を堅持され、歴代総理が署名された慰安婦被害者に対する「お詫びの手紙」の精神を継続されますか。 もし安倍さんが総理になって、このような日本国家の基本方針を改めることになれば、国家は混乱します。アジア諸国は、日本に対して決定的な不信をいだくことになり、国際関係が歪みます。日本の国益は深く傷つけられるでしょう。そのような事態はぜひ避けていただきたいと思います。 安倍さんが、「闘う政治家」という者はこのような日本政府の基本方針を破棄するために闘う者であるというふうにお考えならば、総理になられる前に、国民に対してその旨をはっきり表明し、国民の支持を求められるべきでしょう。 私は、村山談話というコンセンサスをもつことによって、日本は「美しい国」に近づいたと考えます。河野談話も同様です。日朝平壌宣言も同様です。過ちを認めることから逃げずに、隣人に与えた損害と苦痛をきっぱりと詫びる潔さを示すことは、個人としても、国民、国家としても、同じく「美しさ」を取り戻す道ではないでしょうか。そうしてこそ、自信と誇りが持てるのです。そうしてこそ自国民が受けた不当な人権侵害について堂々と主張していけるのです。アジアの諸国民と、世界の人々と手をとって、未来に向けて前進できるのです。これからの世代に希望の道を開くことができるのです。 ・日本は普通の国になってはならず、いつまでも他者依存、しかも自国の存亡に関して幻のような「他国の善意」に頼るという例外的な存在に留まらねばならない、と主張する。 この一部勢力にかかると、「普通の民主主義国家」になる道の前進も、戦前の危険な軍国主義や侵略への復帰と断じられてしまう。日本を普通の国にしょうと唱える人間さえも、危険なテロリスト扱いされてしまう。普通の国への前進を提案する言論も、他の言論への弾圧というレッテルを貼られてしまう。こんな非民主的な思想警察の役割を演じる勢力の代表が朝日新聞である。 ・若宮氏は自分の言論に反対する側の言動は、弾圧や暴力として描こうとする。言論以外の不当な弾圧のように描いていく。 ・日本の政府やその支持派が戦前の軍国主義の政府や軍部と同じであるかのように、虚構を描く。 ・「自由や民主主義は、靖国の象徴するものの対極にある」、「靖国に参拝すると、民主主義の否定になる」という主張である。若宮氏の非論理的な「因果関係」に従えば、靖国参拝に反対すれば、自由と民主主義を信奉している、ということになる。靖国参拝に最も激しく反対するのは中国共産党である。では中国共産党は自由と民主主義を信奉しているのか。若宮氏に問いたいところだ。 ・日本よりも国際社会の立場や利害、あるいは日本よりも中韓両国の立場や利害が大切なのだと明言したほうが、朝日新聞の主張の現実の骨子にすんなりと合致して、すっきりする。 「今後誰が首相となるかを問わず、いずれも靖国神社を参拝しないことを約束しなければならず、これは最も重要な原則である。安倍氏は参議院選挙の後に引き続き首相でありつづけるが、私も彼に絶対に靖国神社に行ってはならないと進言しなければならない。もしその他の人が首相になるなら、私もその人が靖国神社に参拝しないと約束するよう求めなければならない。さもなければ、私は発行部数一千数万部の『読売新聞』の力でそれを倒す。私は新しい首相ができるだけ早く中国を訪問するよう促し、そのほかに皇室メンバーの訪中を促し、皇太子が日中友好関係のためになることはよいことであり、それから胡錦濤主席の訪中を招請する」 「靖国神社にはA級戦犯が合祀されており、これらの戦犯は国のために命をおとしたのではなく、裁判で死刑に処せられたものである。したがって、日本人がもし道徳的判断を失うならば、危険なこととなろう」 「今までのところ、なんでもすべて日米同盟ということになっている。私は今後日本と中国の関係を強化し、経済の面でも安全保障の面でもすべてそうすべきだと思っている。そうすれば、日本がより多くアメリカに依存する必要はなくなり、中国との関係の発展を通じてみずからを発展させることができる」(渡邊恒雄 読売新聞グループ会長兼主筆 「諸君」平成19年11月号) ・日本に原爆が落とされたのは戦争中に日本がやった残虐な行為に対する天罰であったという趣旨の発言をして物議を醸した。 ・「教師と生徒は人間として対等です。しかし教師は指導者で先輩ですから上下関係はあるのです。今は教師が生徒を怖がっている。だから人間関係が出来ないのですよ」 ・宮沢喜一内閣の官房長官時代(1992年の暮れ)、韓国の従軍慰安婦問題に関して、事実関係をよく調査もせず、安易に「強制連行があった」と認め、日本の謝罪・賠償国化を促した張本人でもある。日本を便りにしているアジアの心ある指導者たちの真意も理解できず、ひたすらアメリカの操り人形になり国益を無視した追随外交に走るどころか、アメリカの手先となってアジアの自立を阻止しょうとする。こんな外相は日本にとって百害あっても一利なし。今すぐにでも外相はおろか議員を辞めるべきだ。 ・110万トンの米を税金を使って金正日政権に援助したことが正しかったと思っているのかどうか。誤りであったと思っているのなら、どうして誤ったのか。思想的根拠はなにか、国民に答える義務がある。⇒こんな男が衆議院議長をしている日本は全体がおかしいのだ.。 保守とはとてもいえない胡散臭い政治家で、一時はかっこよく自民党を脱して新自由クラブを作ったものの、人気も沸かぬまま、自民党に「出戻り」した。新進党に政権を奪われた自民党が、新進党の親玉、小沢一郎氏に袖にされた社民党を抱き込み、政権を奪回したインチキ芝居の際の自民党総裁を務めたものの、遂に首相にはなれずじまいだった。また外相時代、拉致被害者の家族の訴えに耳をかさなかっただけではなく、事実無根なのをわかっていながら、韓国への外交的配慮と称して、日本政府や軍が朝鮮人女性を強制連行して「従軍慰安婦」にしたと認める声明を出し、今日に至るも韓国の反日を勢いづかせている国賊である。 ・2001年5月に我国に不法入国を試みて拘束された、金正日のどら息子、金正男を、拉致被害者との交換材料にせずに無条件即時の送還を強硬に主張したのも、河野洋平であったから、余程のシンパシーがあるのだと見るべきかもしれない。 ・従軍慰安婦問題は、我国外交のアキレス腱である。中国、韓国、北朝鮮といった、反日を国是とし“タカリ外交”を展開する国々にとっての、太いカネヅルになっている。そして、このアキレス腱をわざわざこしらえるのも、河野洋平である。 ・我国の教育システムの破壊に最も貢献してきたのが、日教組であるといわれているが、河野洋平もなかなかのものである。 が、李登輝氏本人は、4月10日に既に申請を済ませたと語っており、また、李登輝訪日に向けて積極的に動いていた衛藤征士郎外務副大臣(当時)も、「(李登輝氏)の代理人からビザの申請書類が交流教会台北事務所に持ち込まれたと確認した。申請はあったと認識している」としている。 細川連立内閣発足により下野を余儀なくされ、総理の座をふいにした、当時の自民党総裁河野洋平は、売国仲間の野中広務とともに、戦後一貫して対立関係にあった社会党との連立という、誰もが予想しなかった超ウルトラCを実現。そして自らは外務大臣におさまり、自民党をして、見事与党に復帰させることに成功。 ・今日まで多大な出費を強いられている、中国遺棄化学兵器問題をこじらせたのも、村山・河野の売国コンビだ。村山は、1995年の訪中の際「日中戦争への反省の意思を明確にする」ためと称して、中国全土に遺棄されている化学兵器を、日本政府が責任を持って処理すると約束してしまった。処理費用だけでも、最終的には一兆円以上が必要とされるとの試算もある。これに、中国が当然いつものタカリ癖で要求してくるであろう金額を加えたら、いくらかかるか想像もできない。 日本は敗戦と共に、すべての兵器を中国に引渡した。当然その管理責任は、中国政府にあるはずだ。他人から奪った玩具を放置しておいて、躓いて転んで怪我をしたから金を出せとは、ヤクザ顔負けである。 ところが、ドアホの河野は、これに対しても、「化学兵器に日本製もソ連製も違いはない。中国製もまとめて責任を持って処理する」と事前に布石を打ち、遺棄科学兵器の厳密な製造国調査を放棄したしまった。⇒要するに、河野って野郎は、勝つ相手には徹底して傲慢な態度をとり、自分の勉強不足で勝てない相手には、徹底して媚びる野郎である。 ・外遊に出かけたとき、途中、台湾に飛行機が降りた。しかし、中国に気兼ねした河野は、飛行機の中から一歩も出ずに、長時間、飛行機の中で我慢していた・・・・。河野は中国の忠実な下僕である。 ・90年代の半ば、マレーシアのマハテール首相が提唱したアジアの経済ブロック化を、アメリカの意向をうけてつぶそうとしたのが米国追従の橋本龍太郎(当時通産省)と河野(当時外相)の村山内閣の両大臣だった。 ・チャーチルかだれかが買って「もっとも厄介なのは有能な敵ではなく、バカで働き者の味方で」といったそうであるが、それを地で行くのが河野議長であろう。その働きぶりは人民日報で賞賛されるほどのものである。 ・「確かに保守陣営は自由・民主主義を価値の基軸に据え、親米・反共・反社会主義だったが、日本国家の歴史と未来を真摯に思い、「敗戦国体制」「敗北主義」の信奉者である革新陣営と思想的・政治的に真剣に対抗したことがあっただろうか。 国家権力の責務である国家教育権を彼らに預けていた実態を見れば、真剣な対抗策はなかった。馴れ合い的な既成事実を容認しながら反対勢力に押され続けたのが現実である。その出発点は明らかに吉田政権にある。」(福地惇氏 大正大学教授 正論4月号 平成16年より) ・吉田は名宰相などと高い評価を受けているが、私に言わせれば、二流、三流の政治家だ。当時、世論が盛り上がっていたにもかかわらず、独立国としての骨格を決めるもっとも肝心な憲法や教育基本法の改正をあと回しにし、対米盲従路線による経済復興にのみ邁進する現実路線を選択した。 そのために、吉田が最大限に活用したのが官僚機構だった。官僚機構によって、市場をコントロールし、官が介入することによって国際競争力を養う。この吉田の戦略が奉効し、未曾有の経済成長をもたらした。日本の経済発展は吉田の経済優先のたまものではあるが、しかし、功罪と言う点では、罪のほうが大きい。 ・今回の靖国論争で中曽根元総理外、実に多くの人が、宗教を一種の便宜的なものの見方の一つの場として左右できると考えていることが明らかになった。A級戦犯を別に祀れというのは人が神を同じように裁き操作する立場を取ることである。もっと正確に言えば裁く能力を有する判定をすることである。これは恐ろしいことだ、と私は感じている。 中国が嫌がることはしない方がいい、という。これも中国を神と同等に祭り上げることだろう。こうした便宜主義は、恐らく信仰の世界ではもっとも侮蔑される姿勢である。もちろん表立っては誰も言わない。しかし哲学のないご都合主義者、身の処し方のうまい奴、自分のない人と判断し、こういう人物ほど今後も脅せば何とでもなる、と思うのが常識である。 ・靖国を問題化したのは、当の中曽根氏である。公式参拝の是非を、事前に「心の友」胡耀邦に打診したのが、そもそもの発端。胡耀邦は答えた。「こちらとしては愉快じゃないが、参拝はお国のことですから、そちらでお決めになることでしょう」この答えを反・胡耀邦派が問題にした。「何故断固、拒否しなかったのか」 ・外国の友人の立場をよくするために、自分の国の戦死者を蔑ろにするという馬鹿な首相を持ったことを日本人として恥と感じます。結局、胡耀邦も失脚した。 ・中曽根元首相が胡耀邦の立場を考えて靖国参拝を辞めましたが、あれが日本は押せば引くのだということを示した諸悪の根元です。あの国に対して、一歩引くということは百歩引くのと同じことなのです。⇒このような「風見鶏」男がチャラチャラマスコミに顔を出すこと事態、日本のマスコミのレベルが知れるというものだ。 ・吉田茂の「サンフランシスコ講和条約」に対して、中ソも含めた「全面講和」を主張した人物。吉田元首相に「曲学阿世」と罵倒される。「全面講和」なんか主張していたら日本の独立は永遠に不可能である。 神田(仮名):私が二階堂を怖いと思うのは、無思想で国家観も何も感じられないからです。でも目の前の案件や敵対者をうまく捌いて事を運んでいくという能力は天才的ですね。本当に驚かされるぐらい。 ・谷垣より中川秀直を何とかすべきでしょう。女の問題よりも彼の地金が左翼だということが問題。安倍が中川を切れるんだったら、いいけれどね。 ・GHQは、文化人を対象に日本人同士を敵対させる巧妙な政策を進めた。それに利用されたのが、各ジャンルの共産党指導者とそのシンパたちである。このような状況下で、いち早くGHQにすりよった連中の一人が、丸山眞男である。 全面講和を主張する南原を師と仰いでいたのが丸山雅男だった。丸山は、ときの権威におもねるという東大的体質の典型のような人物だった。 大正三年生れの丸山は、旧制一高時代にかけての十代は、流行していたマルクス主義に傾倒していたが、その後、丸山の思想は時代にあわせてコロコロと変わる。 軍国主義が高まり、マルクス主義者であった東大教授の大内兵衛や有沢広巳が翌年、検挙された。これを境に、丸山は国粋主義者に転向、神国日本、一君万民、尊皇思想を唱え始める。 そして敗戦後、GHQの占領下となると、かって自らが神国と讃えた祖国を罵倒、占領軍の意向に沿う「超国家主義」という尺度を持ち出し、その手先として論陣を張った。変節につぐ変節を続けた風見鶏の丸山だったが、戦後の政治思想をリードした人物として名を残している。 ・「たった10人のことで日朝国交正常化交渉が止まってよいのか。拉致にこだわり国交正常化がうまくいかないのは国益に反する」 姜における「在日」とは在日韓国人を代弁することでもなんでもなく、それを「免責符」として最大活用し、そして日本社会における既得権・発言権を確保しょうとするものに他ならない。 生活保護法ではその目的として「国が生活に困窮するすべての国民に対し(中略)その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする」(第1条)と規定しており、あくまでも対象は「国民」である。しかし、日本国籍を有しない在日韓国・朝鮮人も戦後一貫して事実上生活保護の対象とされている。しかも、1973年の数字では、日本人の生活保護需給率が、千人に12人であるところ、在日韓国・朝鮮人は千人に47人で、ほぼ四倍である。一体これのどこが「セーフティーネットの張られていない状況」なのであろうか。「在日」は実に、社会的セーフティネットを大いに「あてに」していたのである。 ・従軍慰安婦問題では、声高く女性の人権・人間の尊厳を訴える人々が、北朝鮮独裁国家による強制堕胎、強制収容所内でのレイプをはじめ人間の尊厳を踏み躙る数々の事実に対しては、黙して語らない。 ・拉致問題を世界の人々に知らせていくことは、人権擁護の国際世論を形成することであり、これに反対する合理的理由は何ら存在しない。(中略)「正義なき平和」論に通ずるものである。 ・姜尚中の記述には、帰国事業がもつ本質、すなわち北朝鮮独裁体制による在日と日本人妻に対する収奪と抑圧という事実が完全に抜け落ちている。 「我国の侵略行為や植民地支配などが、多くの人々に堪え難い苦しみと悲しみをもたらした」と言明した。日本の首相が国政の場で大東亜戦争は侵略戦争、日本は侵略国と認めたのは、これが初めてである。祖国を贖罪賠償国家に転落させた細川首相の罪は、歴代首相のなかでももっとも重い。 その後、本多勝一は「百人斬り競争」は白兵戦ではなく、捕虜すえ物斬り競争だったという更に残虐な行為にすり替え、現在では捕虜斬り競争として宣伝しているが、その根拠は野田少尉の話を小学生のときに聞いたという志々目証言しかなかった。 ・裁判を利用して自己の歪んだ反靖国思想を主張したもので、裁判の政治的利用であり、それこそ憲法違反の判決だ。しかも「裁判所が靖国参拝で憲法判断を回避すれば首相の靖国参拝は今後も繰返される可能性があるので、それを阻止するために違憲判決を出すのは裁判所の責務と考える」とまで述べるに至っては、亀川清長裁判長は確信犯的は反靖国論者と見て間違いない。 日本の国会議員はもの凄い人数が北京を訪れる。みな中国人の要人に会い、日中関係や日本に関する先方のくだらない話に耳を傾け、その結果を日本人記者団に適当に発表して引きあげる、というパターン≪中国詣で≫。1999年に北京詣できた日本の国会議員の人数を数えてみたら、なんと百七十人近くに達していた。衆参両院議員全体だと四・四人に一人が訪れた。⇒全く税金の無駄遣いである。大体優れた国が援助など受けるものか!日本の国会議員はそれだけ馬鹿だと言うことだ。 この時点ですでに表面化していた中国船の日本海域での活動とか中国の軍事増強、対中援助の効用への疑問など日本側から見て気にかかる問題はまったく提起しない。⇒国益を守るのが政治家だということが全くわかっていないのだ。 李鵬氏からもっぱら日米防衛ガイドラインの関連法案を論題にされた。「曖昧な点が多いため、中国人民は今後も厳しく監視する。中国は日本から戦争の被害を受けたからだ」と高圧的に宣告され、斉藤氏は「日本が中国にご迷惑をかけたことを真摯に反省し、おわびする」と述べ、ガイドラインは特定の地域を対象にしない、というような弁明に終始した。⇒相手は夜郎自大だというのがわかっていない。 (問題4)こうした議員たちの訪問がほぼ全て中国共産党諸機関の招待であり、中国内での宿泊、交通、飲食の費用も中国側負担という構造的な枠組みができあがっていることが指摘される。 ・日本から中国当局には、毎年三千億円もの援助が供与される。日本の援助の受けてからその援助を決める立場の議員たちが恒常的に供応を受ける。国家公務員倫理法までできた日本国内で議員が同様の接待に応じれば、とたんに汚職の疑惑を追及されるだろう。 中国側の公的機関の招待だと、日本の議員たちの日程はすべて中国側が決定する。通訳やガイドまでが、中国共産党中央委員会対外連絡部というような組織から送られてくるプロであり、議員側は籠の鳥となる。そのうえに連日連夜、豪華な招宴となれば、中国側に政策上の抗議などできなくなるのは自然とも見える。⇒要は、中国四千年の供応術に嵌っているのである。だから橋本龍三郎のような中国の女スパイを妾にするようなとんでもない総理大臣が現れるのである。 大東亜共栄圏構想はマレーシアのマハティールがEAEC(東アジア経済会議)の形で90年代初頭に再登場させた。マハティールの考える構想は、先代のアブドル・ラーマン首相の言う「アジアにおける日本のリーダーシップ確立こそがアジアの安全と発展と繁栄の基礎になる」を下敷きにしたものだった。 マハティールはさらにこの構想の意味を香港で開かれた欧州・東アジア経済フォーラムでの演説「日本なかりせば」で披露している。即ち、もし日本がいなければアジア諸国は白人諸国のための原材料供給に生きることを強いられただろう。しかし日本のおかげで自分達も工業化、近代化ができることを知り、そしてそれを今、自分達のものにできた、と。 この構想の背景にはもう一つ、アジア諸国を侵略しつつある中国への嫌悪感があった。とくにカンボジアへを破壊したポルポト派への支援、ベトナムに理由もなく侵攻して中越紛争、そしてアジア諸国を内側から搾取する華僑の跋扈がある。日本が早くイ二シャティブを取らないと中国に蹂躙されてしまうという危機感もあった。 しかし不幸なことに期待された日本は政治的によたよただった。おまけに当時の米政権は民主党のクリントン。この党は代々アジア音痴で日本嫌いが共通している。対日政策も戦後、まったく変わることのない「国際社会に出さない封じ込め」を踏襲していた。 河野洋平が訳もわからずに“ねぇ米国の代理人オーストラリアも入れようよ”とか話したらしい。マハティールは覇気も脳味噌もなくなった現実の日本を見て涙したという。 では今回の東アジア共同体構想は何かというと、かって大東亜共栄圏を潰した中国共産党が言い出しっぺで、中国がアジアに君臨し、その盟主になろうという意図だ。 ちがうだろう。東アジア諸国は中国を嫌い日本にすがっている。それが見えない。なぜかといえばこの人は中国の嫌悪を損なわないパターンでしかコラムを書けない。それが亢進して中国こそアジアの王、日本がお仕えする王とまで思い始めている。船橋にとっての中国は尾崎秀実にとってのソ連なのだ。 サッカーじゃあるまいし日本はアジアとか狭いセクショナリズムを代表しているわけではない。アジアに通貨危機が起きれば自腹を切って対応する。中国にも小遣いを毎年やる。ロシアの原潜解体も日本が面倒みている。狭い地域主義は取っていない。でも彼は地域にこだわり日本が「アジアの利害を十分にG8に反映させていない」と疑問を投げかけて、だから、「中国を入れるべきではないか、との声を日本は今後無視できないだろう」と言い出す。 だいたい中国がアジアの声を反映しているか。前述したようにアジア経済危機のおりに中国は頬かむりだ。今度のスマトラ沖地震の津波災害で中国は珍しく義捐金を発表したが、日本を含む世界主要国とは一桁違う小額で、中国の人的救援を受け入れるという国は今のところない。なぜなら何度もいうようにアジア諸国は中国が嫌いで、中国によって安全も脅かされてきたからだ。 「性差別」はあってはならないと私も考えるが「性差」はないというような非科学的な迷信に与することはできない。大沢真理氏や舟橋邦子氏らとともに、上野氏もアメリカの性科学者ジョン・マネーやパトリシア・タッカーの仮説を教条的に信じて、セックスとジェンダーを区別し、その上で「性差」は「社会的、文化的、歴史的に作られる」ものであり、自然に与えられる「宿命」ではなく「変えることができる」(『差異の政治学』)と主張しているが、この点は八木秀次氏の「嘘から始まったジェンダー・フリー」(『正論』2月号)によって既に完膚なきまでに論破されている。加えて、医学的にも男と女は、ホルモンの分泌によって生まれつききちんと区別されていることが新井康允氏の『能の性差』という研究書で詳しく追求され、論述されている。これら科学的関連事項は、八木さんとの近刊の共書『新・国民の油断』で私も詳論しているので、もうここでは繰返さない。 私は上野という人は非常に弱い、脆い女性ではないかと思う。それでいて気位だけ高く、とくに少女時代から男性に勉強や仕事の能力で対抗心を燃やしつづけ、愛したことも愛されたことなく、いびつな人間関係の中にあり、信頼した同僚も、心から心情を打ち明ける友もなく、異性を憎み、同姓を毛嫌いし、哀れなまでに傷ついた人格形成を経てきたのではないかと推理する。 彼女はジェンダー・フリーも、男女共同参画も信じていないであろう。否、それだけでなく、働く女性の条件を良くするという表向きの社会学者としての使命感も、本当はどうでもよいのではないか。女性世界における自分の抜きん出た知的優越だけが証明されれば残余のことは考えようともしないニヒリスト、相当したたかで、カラカラと打ち笑ってすべてを誤魔化すタイプの戦略家ーといえば、恐らく非常に褒めすぎた形容過剰なるであろう。 羞恥心の喪失、それが彼女の決定的病理である。それは何処からきたのか。原因があるに違いない。男性に対する敵意と対抗心、競争心、そして力に対する拒絶感情、自らが力の主であろうとする男性化願望、中性化志向、男女を区別する自然な人間性の破壊衝動がこの初期の一作に秘められていると私は見た。⇒ルソー、マルクス、レーニン、毛沢東全て病理人間だ。病理人間を信じたばかりに人類は大変な災難にあった(真中)。 人間は犬や猫の前で性器を出しても羞恥心を感じない。中性として扱うことは人間として扱わないことである。ジェンダーフリーや男女共同参画は人間を中性的に扱おうとする考え方に立脚する。「男らしさ」「女らしさ」を破壊するのは人間を破壊しているのと同じである。羞恥心の喪失は人間の中の最も深い人間性が踏み荒らされ、廃墟となることを意味する。⇒男らしさ・女らしさの中にこそ人間らしさ・自分らしさがある。男らしさ・女らしさを徹底して磨かなければならない(真中)。 ・僕は、1931年から日本が満洲、北支、中支、太平洋と広げてきた戦争を自衛のための正当な戦争と言うことはできません。東京裁判を否定することも、旧軍の中国での行動を正当化することもできません。(中略)そもそも、「日本がやったことは侵略と植民地支配であり心から謝罪しなければならない」というのは日本政府の公式見解ですよ。⇒敵将マッカーサーが「自衛の為の戦争だった」と言ったのを知っているのかな。 ・最近、遊就館は欧米諸国の知識人たちの観光コースになっているそうです。あそこの展示や主張は、僕でも驚きます。軍艦マーチが流れる館内では、満洲について「現在は中国が支配し東北部と称している」と、本来は中国の領土ではないような展示をする。南京については、「(日本軍が占領したから)市民の生活に平和がよみがえった」と。訪れた欧米人は、あの戦争を肯定することが日本人の戦争史観であり歴史観だと受け止めてしまう。⇒満洲がもともと漢民族の領土だと思っているぞ。 ・日本では、市民まで戦争指導者と一緒に責任を負わされた。「国民全体が徹底的に反省しなければならない」という「一億総懺悔」です。一般国民は東条と一緒に懺悔なんかする必要ないのに、「私たちもみんな悪かった」と言わされた。⇒国民を二分するマルクス史観に嵌っているのに自分を保守主義者だと思っている。 ・しかし、昨年10月の小泉首相の靖国参拝の際に中国が自制したため、中国批判の空気は一転、欧米の批判の矛先は日本に向かうようになった。⇒この人は2005年の反日デモの狙いは「日本の常任理事国入り反対」の官製デモであったことが分かっていないようだ。 ・東京に駐在するある国の外交官が、極論だと思いますが、「日本は中国、北朝鮮、韓国、ロシアとことごとく関係がよくない。自分のまわりのすべての隣国と関係が悪いのは、世界中で日本だけではないでしょうか」と言った。やはり日本にも問題があるのではないかという見方が米国や欧州にジワジワと広がってきていることは事実でしょう。⇒自由、民主主義、基本的人権、法治主義でない国々とどうして仲良くできるのか。 昭和は、「我が帝国の国是は従来の島国的境遇を脱して大陸国家をなす」という田中義一首相の侵略主義で始まりました。大平洋戦争で戦死した240万の兵士たちは、平和のための犠牲になったのではなく、戦争指導者たちの犠牲になったのではないか。つらいけど、我々はそのことを率直に認めるべきだと思う。それを正面から論じなければ、日本の外交の将来もありえない。⇒コミンテルンの偽書を信じているのではないか。 ・「いや、あんなフィクション(東京裁判)は受け入れられない」というのならば、日本人自身の手で、東条英機元首相や南京事件での中島今朝吾中将、長勇参謀といった本当に責任を問われるべき人々と、そうでない人々を区別して戦争を総括し、戦争犯罪を処断すべきです。しかし、そんなことが、今からできるわけがない。それならば、東京裁判を受け入れるより仕方がない。⇒東京裁判を受け入れる人が保守とは恐れ入る。 ・日本国民は成熟しています。ある地方都市での講演で150人の市民に南京事件について質問したことがあります。「でっち上げだと思う人」と聞いたら、数人が手を挙げました。次に「犠牲者は千人から一万人規模だと思う人」と聞くと5割、「一万人から10万人だと思う人」は4割、「中国が言う通り30万人だと思う人」数人だった。僕は、大半の人が自分の意見を持っていたこと、そして市民のバランス感覚に驚きました。⇒広島・長崎の原爆被害者と相殺する為のデッチあげである。 ・なんとしても、中国とは広域的な協力関係を作って双方の利益を目指すという「プラスサム」の関係を作らなければならないのです。 ・最も悲観的なシナリオは、このままアジアが中国を中心とする大陸アジアと、日本などの海洋アジアに分かれてしまうことです。しかし、「海洋アジア」と言っても、日本とフィリピンと台湾ぐらいしかない。しかも、機敏な中国は最近フィリピンに攻勢をかけている。日本の孤立化を狙っているのではないかと勘ぐりたくなるくらい、彼らの外交は大きな対日戦略にもとづいている。⇒海洋国家連合としてオーストラリアやニュージーランドが思いつかないらしい。 現在の日本では政界、マスコミ、教育界は中共の従属者に占拠され、財界トップでさえも対中マーケット幻想から中共に尻尾を振って「靖国参拝反対」などといっている始末である。作家の深田祐介氏は「中国市場開拓のパイオニア」とされる藤野文雄伊藤忠商事との面談で、藤野氏が「まもなく太平洋圏は完全に中華圏になりますよ。(小略)日本は中華圏の一国として、中国のリーダーシップの下で生きてゆけばよい」と言い放ったことを明らかにしておられる。中共マーケットや対賃金労働力の誘惑は、不況日本の多くの財界人までも篭絡せしめたのだ(深田匠著 「日本人の知らない『二つのアメリカ』の世界戦略」高木書房より)。 中朝シンパは例外なく反米と反日(自虐史観)の思想を保持しているが、その典型的なタイプがチャイナスクール田中均である。ご存知のように田中均は、2003年5月23日の日米首脳会談で合意した北朝鮮への「対話と圧力」に関して、文面から「圧力」を勝手に削除して公表しょうとした。日本の首相と米国大統領の公式会談内容を一官僚が勝手に変えようとしたのである。また日米首脳会談に先立つ5月15日に田中均は独断で密かに渡米し、アーミテ―ジに「金正日体制を保証せよ。日米共同宣言では、圧力とか経済制裁といった言葉を使うな」と要求している。この北朝鮮に内通する売国官僚を審議官に昇進させ、次の外務事務次官補だの駐米大使候補だのと取り沙汰している状況こそ、日本の狂った迷走を示す好例である。田中均はアメリカからも「サスピシャス・ガイ(怪しい奴)」と呼ばれ、警戒すべき要注意人物と名指しされているのに、なぜか小泉首相はこの田中均を日米首脳会談に同行し、あげくに駐米大使候補とはもはや正気の沙汰ではない。訪朝時の田中均は拉致死亡者リストを安倍副長官に隠したのみならず、「大義は何だ」と問われたところ「大義は日朝国交正常化だ」と返答しているが、国交正常化すなわち北朝鮮は莫大な援助を贈ることだけが田中均の目的なのである(465頁)。 ・拉致はどんな言い訳も許されない卑劣な行為です。しかし、北朝鮮の中には「日本が植民地時代にやったことは何だ。あの精算を先にやらせろ」という意見が、大変強い。われわれが水面下で交渉をしているときに一番大きなネックになったのは、そこだったんです。日本が植民地支配の精算をせず、拉致問題だけを進めようとすることに対して、どうしても国内の説得ができませんと」(143頁)⇒精算すれば日本の受け取りにある。それでも良いのか。 辻元清美が設立したNGO「ピースボート」は、北朝鮮とベトナムとの往来を行うことを主目的としており、その運営会社である(株)ピース・イン・ツアーの社長は赤軍派の北川明、役員には北朝鮮から朝鮮総連への指示文書で対朝協力者だと名前のあがっている小田実(ベ平漣)、共産党のシンパとして有名な灰谷健二郎などの名前が並んでおり、前述のように筑紫哲也も「支援者」として船上講師を務めている。公安はこの「ピースボート」を事実上の北朝鮮対日工作団体だとして監視してきたのだが、例えば平成12年に「ピースボート」の一行は万景峰号にコメを山積みして訪朝し、朝鮮労働党幹部候補生の学生たちとディスカッションを行い、なんと拉致だの核だの強制収容所や人権弾圧だのには一言も触れずに「ともに日本の戦争責任を追及しょう」と気勢を上げている。赤軍派よど号グループが北朝鮮から日本へ密入国したのも「ピースボート」の船だといわれており、辻元の周辺には赤軍派と北朝鮮工作員が溢れかえっていたのだ。それ故に警視庁捜査二課は、この事実上の北朝鮮工作員でありながらも無知な大衆やマスコミに人気のある辻元清美の議員バッジをはずさせることに執念を燃やしたわけである。しかし残念ながらその判決は執行猶予付きとなり、全く同罪で逮捕された代議士が獄中にあり、中嶋代議士が保釈中に自殺したことに比べると、裁判官が左翼であったとしか思えない判決が下されたのだ。そのためにこの犯罪者が再び参院選に出馬するという事態に至ってしまった(496頁)。 平成13年7月7日に故松井やよりを講師に招いた左翼集会が開催され、模擬戦犯裁判「女性国際戦犯法廷」のVTQ上映とフリー討論会が行われた。この集会は入場料を払えば誰でも入場できるため、5名の愛国者有志(いわゆる右翼活動家ではない民間の一般人)が入場し、VTR内容のあまりのひどさにヤジをとばしたところ、なんとこの5名は逮捕され4〜6ヶ月間も拘留されたのである。さらに同裁判の河邊義正裁判長は、単にヤジをとばしただけのこの5人に不当な有罪判決を下したのみならず、ブルーリボン(拉致被害者救出運動のシンボル)と日の丸バッジを付けていた傍聴人に対して「それをはずさないと入廷させない」と通告した。もし仮に傍聴人が赤旗バッジを付けていたのならば、この裁判長は「それをはずせ」とは言わなかったであろうことは用意に推察できる。司法界の左傾化が指摘されて久しいもの、およそ世界中のあらゆる裁判において、傍聴人に自国の国旗バッジをはずされるという裁判長が存在する国は日本だけである。本件は西村眞吾代議士が国会で追及されたが、我々保守陣営はこのマルキスト裁判長の名前をしっかりと記憶しておかなければならない(496頁)。 八木:なぜ人権擁護法案が危険なのか。宝島社の「同和利権の真相」というシリーズが追究を繰返していますが、端的に言えば、その実態が、「部落差別取締法」であり、運動団体自らが、「人権・差別問題」の専門家として、国民の監視・管理を行おう」(同書4「悪名高い人権擁護法案のカラクリを暴く」)とするものだからです。私lはこのリポートの内容をすべて支持するものではありませんが、リポート中にある部落解放同盟の特別中央執行委員を務め、社会党参議院議員だった谷畑孝氏がいつの間にか自民党橋本派の衆議院議員に転じて活動をしているという事実を、小泉首相は知っておいてほしいと思います。いかに自民党はその本丸まで左翼に侵されてしまっているか。権力の外から権力を批判していたこれまでのあり方から大転換して、権力の内部に入り込み、権力を使って自らの主義・主張を実現する。自民党は左翼にとって自らのイデオロギーを実現するための格好の舞台装置となっているのです。 古森義久:「和解ー日本外交の課題」の主張は総括すると、「日本は『歴史の負の遺産を直視』し、『過去の反省』を世代を超えて、終着点が見えないつもりで<つまり未来永劫に>、国の対外行動に反映させて行かなければならない。そのためには日本は『普通の国』になってはならず、国家として『一人歩きはしない』という誓約を守り続けるべきだ」という趣旨です。 この趣旨は日本人への不信そのものだといえる。日本人に対する民族偏見、あるいは人種偏見と呼んでもよい。日本人による日本人への偏見というのは奇異である。だが日本は日本であるがゆえに、国際社会では永遠に半人前に留まらなければならないという主張は、その日本を構成する日本国民がある時期、ある形で示したかもしれない「負」や「劣等」や「悪」がいつまでたってもかわらないと断定するに等しいのだ。日本は他の諸国と同じように普通の独立国家として「一人歩き」をすれば、また必ず侵略などの悪を働く、という示唆が背後にある。もしそうでなければ、とにかく中国のような外国から命令されるからという理由だけで、「一人歩きはしない」という特殊な姿勢に永遠に留まらねばならない、という主張になる。 一つの民族や人種に対し、その血、すなわち民族性や人種の特殊性だけを理由にあれこれ断定することをいまの国際社会ではレーシズム(人種偏見・差別)と呼んでいる。 この主張の愚は、国際社会を日本社会に置き換えて考えれば、一目瞭然となる。日本国内で一度、刑法上でも道義上でも悪とみなされた人間の子孫は「世代を超えて」、社会では一人前とはなれず、普通の日本国民としての権利さえ奪われねばならない、ということとなるからだ。 栗山は自国の首相の言葉よりも中国側の歪曲を重視し、優先させ、そんな規準によって自国の首相の行動を非難しているのでだ。中国側の歪曲こそ非難されるべきだという発想がなぜわかないのだろう。だから栗山の主張は皮相を通り越し、倒錯とも響いてくる。 そもそも栗山という元外交官がいま高所に立つような態度で現職の首相の行動を非難し、日本の対外姿勢をかくあるべき、と論ずるのは、笑止千万である。なぜなら栗山には官僚として無責任ぶりを露呈し、外交政策を推進する専門家として破綻をきたした経歴があるからだ。 湾岸戦争前後の出来事である。1990年8月にイラクがクウェートを軍事占領した。国際社会は多国籍軍を組織し、その占領に終止符を打とうとした。日本でも多国籍軍に貢献する要員派遣の為の立法措置をとることになった。当然、自衛隊を派遣する案が浮上した。だが当時、外務次官だった栗山は周囲に「自分の目の黒いうちは自衛隊は海外に出さない」と豪語し、反対に回った。その結果、自衛隊とは別個の平和協力隊という奇妙な組織をつくって、湾岸に送ることを主眼とする「国連平和協力法案」が外務省主体で国会に出せれた。だが法案内容の曖昧さや答弁の矛盾で、各方面から猛反対を浴び、あっというまに廃案となった。その間、日本は国際的な危機に対し、決して汗も血も流さない狡猾な一国平和主義の国という悪評が定着し、戦後の歴史でも例のない汚名を残し、傷を負った。しかし、実務責任者の栗山は何の責任も取らず、部下の国連局長の首を差し出して、自分は駐米大使へと栄転していった。 それだけではない。湾岸戦争の終結後すぐに当時の小沢一郎自民党幹事長らの主導で二度目の国際貢献立法案として国際協力立法法案が自衛隊派遣をその柱として出せれ、92年6月に成立した。その直後、その小沢氏がワシントンを訪れ、自衛隊の海外派遣を日本の新たな国際貢献としてアピールする演説をした。すると、その場にいた栗山は目の黒いうちは阻むはずだった、その自衛隊派遣の構想演説に対し、なんと、パチパチと拍手を送ったのである。外交専門家、あるいは個人としての政策や理念の一貫性ということからみれば、完全は破綻だった。ちなみにそおのころからの栗山の駐米大使在勤中はアメリカの対日態度は戦後の日米関係でも最悪となった。 そんな実務面での失態と知的面での不誠実を重ねた元外交官が十数年経ったいままた亡霊のように現れ、日本の国の在りかたを説教するとは、その厚顔に感嘆させられる。⇒こんな馬鹿を呼ぶ方も呼ぶ方なのだ。 ・栗山の基本的スタンスには、一体どの国の国益のために議論を展開しているのかさえをも疑わせる側面がある。 ・こういう姿勢の背後には、とにかく悪いのは日本、反省すべきは日本、和解が出来ないのは日本のせい、という示唆があるように感じさせられる。中国や韓国が勝手な内輪の事情や独善、横暴、あるいは外交上の戦術のために、対日和解をあえてせず、日本糾弾を続けるという可能性には一切、目を向けようとしないのだ。 ・栗山論文を外交政策論文として見た場合の致命的欠陥は、その結論部分であろう。栗山は結論として日本は「過去への反省」のために、「普通の国」になってはならず、「一人歩きはしない」という状態を無期限に続けるべきだ、と論じている。日本は「一人歩き」をすれば、「戦後の努力を通じ、営々と築いてきた日本に対する信頼が一挙に失われる危険がある」とも説く。栗山氏はこの「一人歩き」という表現を結論の部分で何度も何度も使っている。⇒全く逆の事をすればいい。一人歩きすることだ。 政界に目を向ければ、日本を滅亡へと導こうとするマルキスト・自虐史観信奉者・中共の飼い犬たちを見分ける明確な目安が存在している。平成10年に発足した「恒久平和のための真相究明法の成立を目指す国会議員連盟」に名を連ねる、衆議院98名、参議院35名の売国奴たちだ(517頁)。 |
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