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興味深いとは?/ セントラルファイナンス

[ 706] 「興味深い」と「上から目線」 - novtan別館
[引用サイト]  http://d.hatena.ne.jp/NOV1975/20070326/p1

自意識過剰をトリガーにした批判(勘違い)に対する防衛の発動が原因だから説明できないんじゃないですか?わからんでもないってのは(そういう表現をするとき大抵はそうだろうけど)感情の面で、なわけだし。
きっと「僕は|私は批判されたくありません!」ってのを上から目線という言葉を使って言いたい。「上から目線」ってのは興味深いという行為に対する柔らかな否定のニュアンスの発言ですよね。
自分は観察対象じゃない、ってのは大げさに言うと人間の尊厳がどうたらとかになりがちだけれども、そもそもWebに文章を公開するのはこれも大げさに言うと、尊厳の部分を完全に放棄し、観察者たちに委ねるという行為であると思います。まあ捨て去る必要はないんだけれども、必要以上に他人に自分を尊重することを要求する場ではない。
表現者としては程度の問題はあれ、いくらか自意識が過剰で無いとお話にならないとも思うのですが、それに対して客観的な意見のなんと恐ろしく、そして卑怯に見えることか。ましてや、客観的なのに主観的であり、また世の中の多数派を代弁しているような意見においては。
「興味深い」という言葉そのものには上から目線的なニュアンスはないと思うのですが、その客観的な「観察」という行為を上から目線と捉えることが多いんでしょうね。発言した当人にとっては観察ではなく感想だったり感心だったりするものですけれども。ただ、文脈的に小ばかにしたような状況で使われるという事例がそれなりにあり、マイナスの事例は目立ったり記憶されやすいから全部が全部小ばかにしていると勘違いする人はいそうですね。
僕は興味深いと言われるとどちらかというと「興味をひけたよ!やった!」と思ってしまうくらいなので言われて憤る人たちの心情を完全には推測できないのですが。もしここで書いたような機構により否定的に捉えられているのであればそう思ってしまう本人たちはあまり認めたくないロジックかも知れませんが、あえて自己分析をしてくれる人はいないものでしょうか。
自分が書いた「内容」を興味深いと思われる分には別にいいけど、“そんな内容を書いてしまう意識を持つ「自分」のような人間が居ること”に対して興味深いと言及がされるとイヤだなぁって思う、みたいなのならなんか気持ちがわかるかもとか思いました。僕はそんな気持ちにはならないけども。あと、感情がロジックで説明できるのが当たり前って考えるのは器用な態度じゃないとおもいます。人は機械とは違って扱いとか対処が難しいから付き合うと割とおもしろいみたいなとこがあるし。こういう話の流れになると、根拠のない説明責任じみたものが出てくることがままあるので、知らない誰かに向けて前もって釘を刺しておきたくなりました。
基本的にはてなーは発想がネガティブで人の揚げ足をとって喜んでいるところがありますし、梅田さんがおっしゃるように粗を探して喜んでいるところがあるので、そんなにお気になさらない方が良いと思いますよ。基本的に、日本の場合は、ネットは粗探しをして日常生活でのうっぷんを晴らしたり、人前では抑圧されているネガティブなエネルギーを発散するトイレという正確が強いので。
コメントありがとうございます僕も基本はそれほど気にする必要が無いと思うんだけど、これだけの人が反応しているということは、みんなそれなりに気にしているんだなあと思いました。その気持ちだけで充分じゃないかなあ。ただ、これは受け取る側の問題ですから僕が常日頃から言っているような「覚悟」が無い人たち(これは非難しているわけではありません。自己防衛という点で非常に脆弱で見ていられないところもありますが)が様々な文章を書いている現状ではこちら側の人(これも別に偉いといっているわけじゃなく単にサービスの利用者として)が多少は意識しているべきなんじゃないかなとも思ったりします。難しい。
id:obacanさんのコメントで純粋に疑問に思ったのですが>感情がロジックで説明できるのが当たり前って考えるのは器用な態度じゃないとおもいます「感情がロジックで説明できて当たり前」と発言したり定義できている人はこの議論で存在するのですか?私個人としては「感情はロジックでは説明できないこともある。と、良く言われるのは何故なのか?」という理由が知りたいなぁとは普段から思っています。>根拠のない説明責任じみたものが出てくることがままあるので「根拠がない」というのもどこから出てきた結論なのでしょうか?この議論は、単なる内容に興味が有るという「興味深い」という言葉に関して、なぜパワーゲームや優越感ゲームの侮辱として受け取ってしまう心理があるのかということを探る物ですよね。つまり、ある単語から書いてもいない気持ちを読み取ってしまう心の仕組みの謎を知りたいという。誰も書いても居ないのに「根拠がない説明責任がある」と読み取ってしまったら、議論の謎そのものを議論に組み込んでいるというトートロジーに成ってしまう危険性があると思いました。
ちょっと脱線しそうなので知らない誰かに向けて前もって釘を刺して置きますが・「興味深い=上から目線」と言葉の定義にない意味を読み取る人が居ることは観測されている・「興味深い」がたとえば「すばらしき人たち」「神々しい」「ユニークすぎる」「飛び抜けてる」などの回りくどい表現であっても「上から目線」だと感じている事例もある・言葉の定義にないものをパワーゲームなどの状況や文脈で違う意味に解釈する自由は誰にでもあるここまでは根本的には疑問には成らないと思っています。私に取って本当に知りたいのは・それを「当然」という強い表現で書いても構わないと思ったのかですね。その事に関して「理屈じゃないんだよ」「当然じゃないか」「人間は機械と違う」という説明に成っていない戯れ言以外の論理的な分析を知りたいという感じです。(想定できるいちばんつまらない答えは「それは上から目線だという私の感覚に常識という権威を付けたい。それを強調するためにあえて無理矢理に”当然”という表現をつかっている」というものでしょうか)
わぁ、えーと、どうしよう。上のぼくの発言こそ根拠のない意見なわけで、経験則か印象論に過ぎないのです。なので期待に沿うような論理的な回答はできません。otsuneしの上のコメントには、そこは僕の過剰かつ不正確な先読み妄想の産物なのですと答えておきます。この議論の中では誰も「感情がロジックで説明できて当たり前」とか「説明責任がある」なんてふうには考えてないとおもいます。万が一そんなことを考える人が議論に入るとめんどいかもなぁ、という、“勝手な仮定に基づく愚痴”という厄介なものに過ぎません。見直してみると確かに、議論の中で意味を持つ発言ではありません。otsuneしの下のコメントには、「たぶんなにも意識せずに書いたのでは」というのが答えになるのかならないのかわからないけども、ぼくはそう想像します。「強い調子で書く」ことに「構う / 構わない」といった条件がつくなんて思ってもみなかったのではないかなぁとか。上でぼくが披露してしまったツッコミどころと同様、気が回ってなくてよく意味も考えないまま危なっかしい表現を使っちゃう人が居るということは根本的には疑問に成らない、とかってのは言い過ぎかなぁ。言葉の正確な選び方に注意を払えるというのは、いわゆる「頭がいい」の要素の一つであって、ぼくのような凡人が参加しうる場において、これを相手が持っていることを前提にして議論を始めてしまうとややこしくなるように思うのです。やっぱりこう印象論にしかなってませんが、そもそもぼく自身あんま論理的に生きてないようなとこもあって、ロジックを組むのは下手くそです。まともな議論においてotsuneしの相手をできるほどに頭がよくないのです。こういう諦めを抱いてるのならばそもそもコメントなど残さなければいいのですが、非論理的な行動を取ってしまうのも頭のよくなさから発生する振る舞いです。精進しますとしか言えないかんじです。議題の「言外の意味を読み取ってしまう気持ちの謎」に関しては、ぼくの考えに最初のコメントに書いた印象以上のものはありません。そういう人たちの気持ちはわからないんだよナァとか思ってましたが自分もその類のモノなようなので、その心理への説明が単純に思いつかないようです。

 

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