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拒否とは?/ セントラルファイナンス

[ 653] 登校拒否研究室
[引用サイト]  http://www.toukoukyohi.com/

心には意識の心、習慣の心、潜在意識にあり命に直結する情動の心とが有ります。この三つの心を見据えて心を分析しています。
【表紙・登校拒否・いじめ・引きこもり・青少年問題・心の傷・鬱病パニック障害・童話・絵本】 <説明付きメニュー>
引きこもっている子どもを周囲の大人が見たとき、”引きこもりは問題だ、引きこもりをさせてはならない”と感じる大人が多いです。子どもを引きこもらせてはいけないと考える大人が多いです。”子どもは友達や社会と関わって元気に成長するものだ、子どもの社会性を育てるのに必要なことだ”と考えるのが現在の常識であり、それを多くの大人が信じて子どもに求めています。
引きこもっている子どもの立場から言うなら、子どもは好きこのんで引きこもろうとしていないです。子どもは本能として引きこもることを好みません。子どもは自分が属している環境に順応して成長しようとします。自分から友達を求めて社会に出て行こうとします。心が元気な子どもは、その子どもなりに自分から学校に行こうとしますし、友達と交わろうとします。
子どもが引きこもる理由は、家の外に、子どもの部屋の外に、その子どもを辛くする物があるから、子どもはその辛い物を避けるために、辛くない家の中に、辛くない自分の部屋に引きこもります。家の外に、子どもの部屋の外に、その子どもを辛くする物がなくなると家の中に、自分の部屋の中に、子どもは引きこもらなくなります。子どもが引きこもるのは子どもに原因があるのではなくて、家の外に、子どもの部屋の外に、子どもが引きこもらなくてはならない原因があります。ただし子どもが引きこもらなくてはならない原因を、親や大人たちが理解できないから見つけられないだけです。
引きこもっている子どもは、引きこもらないと辛くて辛くて死にそうになります。その辛さにより自分を維持できないから、辛さのないところに引きこもる必要があります。引きこもった状態で辛い自分の心を癒そうとしています。辛い自分の心を癒せたなら、引きこもっている場所でその子どもなりに楽しく成長できたなら、家の外の、子どもの部屋の外の、今まで自分を辛くしていた物に対して辛さを感じなくなり、引きこもりを止めてその子どもなりに元気に活動を始めます。
引きこもっていても辛い自分の心を癒せないとき、引きこもっている場所で子どもは問題行動を起こしたり、いろいろな病気の症状を出し続けます。自分の部屋に引きこもっている子どもは、もうそれ以上に引きこもる場所がないから、子どもは自分の心の中に別の人格を作ってその人格に逃げ込むこともあります。その姿を周囲の大人が見たとき、いわゆる精神病になったと判断をすることになります。
引きこもりには二つの形があります。一つは引きこもっている場所で子どもの辛い心を癒せて、エネルギーをためている子どもの引きこもりの形です。この子どもが引きこもっている場所を子どもの心にとって「安全な場所」と表現しておきます。もう一つは引きこもっていてもまだ辛くて、自分の命を維持するのに精一杯で、エネルギーをためられないばかりかますますエネルギーを失ってしまう引きこもりの形です。この子どもが引きこもっている場所を子どもの心にとって「安全でない場所」と表現しておきます。
多くの大人が子どもの引きこもりを認められないのは、「安全でない場所」に引きこもっている子どもがますますそのエネルギーを失っていく姿を見て、その姿を全ての引きこもりの子どもの姿として考えています。「安全でない場所」に引きこもって苦しんでいる子どもを、引きこもりが問題だと判断する大人は何とかして引きこもりを止めさせようとします。その大人がする対応自体がますます引きこもっている子どもを辛くして、「安全でない場所」をますます安全でなくして、子どもは動けなくなり、問題行動を起こしたり、いろいろな病気の症状を出し強めていきます。
子どもが引きこもる理由は、家の外に、子どもの部屋の外に、その子どもを辛 子どもの本能として、元来子どもは引きこもることを好みません。けれど引きこもる子どもは、その子どもにとって引きこもらなくてはならない辛い物がその子どもの周囲にあるから、その子どもを辛くする物がない「安全な場所」に引きこもろうとします。辛い状態の子供にとって、「安全な場所」に引きこもって、そこで辛い心を癒してエネルギーをため、自分の心の状態に合わせて、自分が蓄えたエネルギーに合わせて、「安全な場所」から出て行き、自分の部屋の外の、自分の家の外の社会と関わる関わり方が、その子どもにとって一番確実で早く安全な心の成長の仕方です。
不登校のとらえ方は不登校の子どもの立場からのとらえ方、不登校の子どもの親の立場からのとらえ方、学校や行政の立場からのとらえ方で異なっています。不登校の子どもの立場とは、現に不登校問題で苦しんでいる子どもの立場です。不登校の子どもの親の立場とは、現実に学校に行かないで目の前にいる自分の子どもに学校に行って欲しい、社会に出て働いて欲しいと願う親の立場です。学校や行政の立場とは、現存する学校には問題点がなくて、不登校をする子どもに問題があり、その不登校をする子どもを学校に行かそうとしないその親に問題を見つけ出そうとする学校や行政の立場です。
子どもが登校拒否・不登校の状態になったとき、子どもは学校見たり意識すると辛いから、学校に行こうとしても体が拒否をしていますから、子どもは学校に行こうとしなくなります。親が登校拒否・不登校の状態の子どもを学校に行かせようとしても、子どもは学校に行けません。そのようなときでさえ、登校拒否・不登校状態の子どもは学校には行かなければならない、勉強をしなくてはならない、友達と遊びたいと願っています。しかしそれらの願いとは逆に、学校を思い出すと、勉強を思い出すと、友達を思い出すと、体の奥底から理由のわからない辛さがわき出してきて、登校拒否・不登校状態の子どもは学校を拒否せざるを得なくなっています。
不登校の子どもは不登校を選択したのではなくて、学校に行こうとしても辛くでどうにもできないから、やむを得ず不登校の状態になることで体の奥底から湧いてくる辛さから自分を守ろうとしています。不登校を自分の生き方としてとらえることはとてもできない状態です。登校拒否・不登校の子どもが学校に行けないのは、学校で疼く心の傷を受けたという事実があり、その心の傷が学校を見たり意識すると疼くから学校を拒否せざるを得ないのです。登校拒否・不登校の子どもは被害者であり、学校に行けないという状態について子どもには全く責任がありません。
不登校状態だった子どもが学校に行かなくてもよい年齢に達しても、不登校をしていたときに受けた対応で心の傷が広がった、つまり子どもの周囲の人や物、場所について恐怖を感じ辛くなるような性格になっていた子どもは、いろいろな病気の症状を出して(医者にかかると病気と診断されますが、決して病気ではない。心の傷の症状である)苦しんでいて、自分の経験した不登校を、そして就職などの社会活動に参加できない現在の自分を、自分の生き方としてなかなか認めることができません。
それでも親が今の自分をそのまま認めてくれるようになると、子どもの辛さがだんだん減少してきて、このような生き方もあると感じるようになります。不登校も肯定的にとらえられるようになります。学校の問題点を振り返って考えることができるようになります。そのような子どもは不登校の経験を、自分で選択した不登校だったと理解することも可能になります。
子どもが不登校になったとき、親は子どもが学校に行こうとしないのは悪いことだとして、子どもが学校に行きたがっているのに行けないのはかわいそうだと思って、子どもを何とかして学校に行かそうとします。それが親の義務、親の優しさだと社会常識から考えています。子どもを学校に行かそうとする対応を続けていると子どもの状態がますます悪くなることから、親はいろいろな機関に相談したり、病院に連れて行ったりして子どもの不登校問題を解決しようとします。
これらの親の対応は親が子どもを守りたいために取った対応ですが、子どもが不登校状態になった原因は子どもにありません。子どもは現在の学校が持つ歪んだ面の被害者です。その事実に気づかないで子どもを変えようとすることで不登校問題を解決しようとすると、子どもは暴れたり、いろいろな病気の症状を出して解決が見えなくなってしまいます。
そこで親がそれまで取ってきた対応とは全く逆の対応、ありのままの子どもを認めて待つ対応を取ると、子どもの心の傷が癒えてきて、外見的には子どもが落ち着いてきて、子どもがその子どもなりに成長して生きていくこと親も実感できるようになります。子どもが学校に行かないで生きる生き方を親も認められるようになります。親は子どもの不登校を問題としてでなく、子どもの生き方として捉えて、ありのままの子どもの姿を認める意味を実感するようになります。親が子どもの不登校を子どもの生き方として認められるようになったときには、子どもがすでに義務教育を終わっている場合が多いです。
現在社会の風潮は、子どもが学校に行かない特別の理由がない限り、子どもは学校に行かなければならないとなっています。不登校は子どもが学校に行かない特別の理由になっていません。不登校は現在社会では許されないのです。現在社会の風潮は、子どもの生き方として不登校を含めて、学校を利用しないで成長する生き方を認めようとはしていません。教師はは自分の学校や学級に現在社会で許されない不登校の子どもが出て欲しくないです。不登校の子どもが自分のクラスから出ることは、先生の授業の仕方が悪い、先生としての業績の汚点と判断するからです。
学校も不登校の子どもが出ることで、学校の問題点をつつかれるのを嫌がります。子どもに問題点を探して、どんな形でも学校に来させようとしています。政府も不登校の子どもが増えることで国民から教育行政の問題点を責められるのを嫌がります。不登校問題が社会問題として大きく取り上げられるのを嫌がっています。教育行政がうまくいっていることを国民へ訴えたいのに、その足かせになるからです。政府は不登校を子どもやその親の責任にして、国民から責められたくないので、見かけ上の不登校の子どもの数を減らすために多くの予算を費やしています。当然不登校問題の本質を突いていないので効果が出ていません。それだけ無駄なお金を費やすなら、学校に行けない子どもたちが子どもたちらしく過ごす(決して学校に戻す対応をしていない)子どもたちの居場所にお金をかけてくれる方が不登校の子どもたちやその親にはありがたいです。
登校拒否不登校で学校へ行こうとしない行かない子供達は、決して学校をずるして休もうとしているわけではない。学校に恐怖を感じて、学校にいると不安や苦しさを感じて、それに耐えきれないから、学校を回避するのである。
登校拒否研究室では、子供の立場から、登校拒否を中心にして、いろいろな子供の問題を考えようとしています。判断の基準は、思い付きや経験に頼らないで、脳科学を大胆に当てはめています。多くの方の御意見をお待ちしています。

 

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