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知能とは?/ マイワン

[ 629] 知能の心理学(知能指数、知能テスト、IQ)
[引用サイト]  http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/koneko/5chinou.html

知性、知力。その人が数字や図形をいじったり、言葉や文字を使ったり、いろいろな問題を解決するための、もとになる知的な力です。
ただし、今日勉強して、歴史の年号や数学の公式を覚えても、それで知能が高くなるわけではありません。知能と知識や学力は同じではありません。知能は、そういう勉強をしたり、作業をするときの土台となる知的な能力です。
(上に書いたように、一応の説明はできるのですが、実は、良く分かっていません。知能を研究している心理学者の数だけ、知能に関する定義はあるなんて言う人すらいます。)
小中高校で、知能テストを受けたことがありますか。知能テストを受けると、知能指数というのが出て、それで、頭が良いとか、悪いとかって考えますよね。身長計で身長を測って、高いとか低いとか考えるように。
でも、本当は、知能テストと身長計はずいぶん違います。まず、実を言うと知能とは何なのか、良く分かっていません。身長が何なのか良く分からないということはありません。身長の測り方で議論になることはありません。
でも、知能については、いろいろな意見があり、いろいろな測り方があります。沢山の知能テストがあり、それぞれの方法で知能を測っています。どのテストが一番正しいのかは、もちろんわかりません。
また、何かを測るときに、「誤差」はつきものです。身長を測るときに、そっと背伸びをしたり、ちょっとひざをかがめれば、本当の身長は測れません。でも、身長測定の時に、そんなことをしても、きちんと見ていればすぐにわかります。けれども、知能をテストで測定するときには、分からないこともすくなくありません。
朝、お母さんとケンカした、ふてくされてやる気がない、緊張しすぎている、そんな状態でテストを受けても良い点数は出ません。また、もし事前に似たような問題を手に入れて練習してしまうと実際の知能以上に良い点数がとれることもあります。
(知能テストを作るときには、練習しても点数が上がらないような工夫をするのですが、それでも一生懸命練習されてしまうと、やはり点数は上がってしまうようです。)
さて、それでは理想的状態で測定した場合はどうでしょう。身長をきちんと測定すれば、5センチも誤差が出ることはないでしょう。でも、5ミリぐらいの誤差だったら、髪型等によってあるかもしれません。私たちは、身長についても身長計についても良く知っているので、そういうことは常識的に分かります。
でも、もしかしたら知能テストを受けるときに、体調が悪かったのかもしれません。気分が乗らなかったのかもしれません。そんなことはなくて、完全に理想的な状態で知能テストを受けたとしましょう。体調万全、やる気は満々、適度な緊張とリラックスで、100%力が出し切れたとしましょう。
仮にそうだとしても誤差はあります。理想的状態でも、知能指数でプラスマイナス5ぐらいの誤差はあると言われています。知能テストは、身長計ほど正確な測定道具ではないのです。
ある心理学の先生が、新しい知能テストを作るときに、上のような考え方に従って、細かい知能指数が出ない知能テストを作りました。知能のレベルを中の上とが、上の下と行った具合に表すテストです。ところが、出版してしばらくしてから、出版社から連絡があったそうです
知能テストの誤差を考えると、そんなに細かく知能指数を出してもあまり意味のないことも多いのですが、でも細かい数字が出る方が正確な知能テストのような気がしてしまうようです。
(知能テストや知能指数が当てにならないというのではありません。ただ、何を測るにしても、必ず誤差はつきものだということです。)
私たちがよく体験する知能テストは、制限時間があり、スピードを競うものです。たとえば、1分間にいくつ問題が解けるかが問われます。このような知能テストは、だいたい中学生か高校生ぐらいのときが、一番点数が高くなります。高齢になるにしたがって、どんどん点数は下がります。
もちろん、そんなことはありません。たしかに、スピードを競ったり、単純な暗記力などは、高齢になると衰えます。しかし、時間をかけて、高度な思考力を使うような知恵ともいえるような知能(結晶性知能)は、年齢が上がっても、下がるどころか、どんどん向上していくのです。
ただし、脳の病気等になってしまって、知能が下がることはあります。でも、それは高齢者に限ったことではありません。それでも、高齢になって頭が悪くなったように感じられる人はいるでしょう。
しかし、それは、高齢になって知能が下がったのではなく、たいていの場合、やる気がなくなったり、環境が悪くなったせいです。たとえ若い人であっても、チャレンジ精神を失い、新しいことへのやる気が下がり、新聞も読まないで、変化のない単調な環境に10年もいたら、それは、ボーっとした人間になってしまうでしょう。
たとえ高齢になっても、脳の病気にならず、やる気を失わず、変化のある豊かな環境にいれば、たとえスピードは落ちても、知能全体が下がることはありません。
1、私たちの生活全般にわたる「知能」があるという意見もあります。そうすると、知能指数の高い人は、頭の良い人と言えるかもしれません。
2、しかし、全般的知能はあっても、そのうえに、計算をする知能とか、言葉を使う知能とか、いろいろな分野ごとの知能があるという意見もあります。
そうすると、全般的な知能指数の高さだけでは、その人の知的な能力は分からないし、ある人は計算が得意、ある人は文章を書くのが得意、といったように人によって得意不得意の分野があるという人もいます。
3、さらに、もっと知能は細かく分かれているという人もいます。全般的な知能などは存在していない、さまざまな問題や作業に関する知能があるという考え方です。
この考え方では、全般的な知能指数の高さだけでは、そのひとの頭の良さは全く分からないことになります。知能指数の高い人とは、単に、知能テストのようなパズルやゲームに強い人とも言えます。
上の三つの考え方のどれが正しいかはわかりません。ところで、ベテランのウエイターやウエイトレスは誰が何を注文したかをきちんと覚えています。将棋のプロは、将棋の駒がどういうふうに動いていたかを実に良く覚えています。私の知り合いのラーメンやさんのマスターも、誰が何を注文したかをその日の終わりまで、覚えているそうです。
それでは、このような有能な人の知能指数は、みんな高いかというと、必ずしもそうとは限りません。ある職業で、抜群の能力を示す人でも、全般的な知能指数を測ると平均的ということがあります。ある分野ですばらしい記憶力を示す人の、一般的な記憶力を測定すると、平均的であることも珍しくありません。
もしかしたら、全般的能力は平均的でも、その職業や作業に関する知能がとても高いのかもしれません。もしかしたら、「その職業に何する知能」などは存在していなくても、その仕事や趣味が大好きで、熱心にやっていくなかで、能力が十分に発揮されているのかもしれません。
アインシュタインは、様々な面の知能が高い人だと思いますが、それでは、彼がどんな職業についても有能な職業人に成れたかというと、そうはいかなかったでしょう。
ある知的障害児達と一日過ごした時です。その中で、一番きちんとあいさつができ、にこやかに周りの人と上手くできる女の子がいました。ところが、後になって、その子の知能指数が一番低いことを知りました。
その子は、計算や図形や言葉などに関する知能は、確かに低かったのです。でも、その子には、高い「社会性」がありました。知能が多少低くても、社会性が高ければ社会の中で生きていけることはあるでしょうし、逆に知能が高くて学校でどんなに優等生でも、周りの人達と上手くやっていく社会性がなければ、せっかくの高い知能を生かすことができません。
最近、「EQ」というのが、ちょっとしたブームです。今までの知能指数ではなく、自分の気持ちに素直になったり、がまんしたり、人の気持ちに共感でたり、協調できたりする能力のことです。「こころの知性」「情動指数」などとも呼ばれます。
このEQの研究者によると、いままでの知能指数よりも、EQの高さの方が、社会で成功するためには必要だと言っています。また、以前から、言葉や計算に関する知能だけではなく、「社会的知能」が大切だという意見もありました。
EQや社会的知能を含め、その人の性格や、情緒的な面によって、知能が生かされることも、生かされないこともあるでしょう。
人によって肉体的能力に差があるように、知的な能力(知能)にも、差はあると思います。けれども、一回か二回の知能テストの結果だけで、全てを判断してしまうのは間違いです。
測定には誤差があります。また、まったく違う種類の知能テストをしたら、違う結果が出るかもしれません。仮に知能指数は特別高くなくても、ある仕事や趣味の世界で、すばらしい能力を示せるかもしれません。
私たちの日常生活は、知能だけで決まることはありません。その人の性格や態度なども含めた、その人全体の力が大切なのです。

 

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