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厳しいとは?/ アットローン

[ 333] 「世の中は厳しい」なんて大嘘 - アンカテ(Uncategorizable Blog)
[引用サイト]  http://d.hatena.ne.jp/essa/20070821/p1

個人にある種の才覚とネット上での行動力さえあれば、リアル社会に依存せずとも、ネット上に生まれた十分大きな経済圏を泳ぐことで生きていける。本書が紹介する20人の先駆者たちが証明しているのは、そういうことだ。「ニート」だ「引きこもり」だと親が心配して騒いでいる間に、実は息子や娘たちがインターネット経済圏で両親の倍も三倍も稼いでいたなんて事例は、「次の十年」を待たずして続々と報告されることだろう。
厳しい雇用環境下に置かれる「就職氷河期世代」の20代~30代 の若者たちの中から、会社に雇用されることを捨て、自営志向による不労所得 に時間をかけ、親や同世代以上の年収を稼ぐようになった「ネオニート」といわれる成功者が現れ始めている。
しかし、こういう報告は、いつも例外扱いされる。WEB自営のような生き方は、常に個人の例外的な才能や偶然の幸運に帰着させられ、なかなか見習うべきモデルケースとされることはない。
そういう生き方は、市場の見通しとか競合相手の参入可能性とかを具体的に評価する前に、一律で「世の中はそんな甘いもんじゃない」「世の中は厳しいものだ」という言葉によって否定されてしまうのではないだろうか。
しかし、ロングテールのしっぽで月収20万くらい稼ぐアーチストになるのは、一部上場企業に入社するくらいの難易度になる。「良くできた息子さんですねえ」と近所や親戚に褒められ、母親はちょっと鼻高々。でも、サインを求められたり町内で知らないものがいない、というようなレベルではない。iTMSが求める商品、売りやすい商品はメガヒットでなくて、そういうアーチストの大群である。
「正業」をめざすのは野心にあふれた人か自信過剰な人か夢見がちな人か本当にたぐいまれなる才能に恵まれた人で、一般の人は「アーチスト」と「副業」の中間のような収入源を複数持って、それで食っていくことが普通になると思う。
20世紀には、アーチストを目指すのは「非現実的で成功する可能性がほとんどない(けど万が一成功したら莫大な見返りがある)生き方」だった。一流企業を目指すのは、「誰にでも可能とは言えないが努力次第では充分可能であり、現実性を考慮しつつ多少高めに置く人生目標としては適切なレベルの夢」であった。
一流の企業で正社員として安定した身分と充実した仕事を確保するということは、ずっと難しいことになる。どんな業界も、寡占化が進み、トップ企業はスリムになっていくだろう。ごく少数の社員が、ITと集団知とクラウドソーシングを活用しながら仕事をする。特別な才能を持たない普通の人にとって、そういう場への参入は、「非現実的で成功するほとんど可能性がない(けど万が一成功したら莫大な見返りがある)生き方」になるだろう。
どんなジャンルでも、競争相手は世界中のあちこちにいて、そこに参入するための条件を満たす国は増えつつある。しかし、それは、単一市場の拡大ではなくて、市場の数が無数に増殖していくということだ。
音楽からアニメからゲームから演劇から全部ひっくるめて、日本全体にジャンル別に細分化された1000個の市場が出現して、各市場において、専業2〜3人と兼業100人ずつを養うということなら、充分あり得る話だ。そのうちいくつかの市場は、今のオタク市場やアニメ周辺産業みたいな形で、顧客ベースを海外に広げているかもしれない。
兼業も含め10万人いるなら、アーチストを目指すことは、「誰にでも可能とは言えないが努力次第では充分可能であり、現実性を考慮しつつ多少高めに置く人生目標としては適切なレベルの夢」になるだろう。兼業アーチスト+バイトという着地点を目指し地道に研鑽をつむことは、堅実かつ意義ある仕事で、尊敬されるべき生き方になるだろう。
企業の周辺でフリーランスとして働くということも含めて、WEBを使った副業的な仕事が数多く生まれ、そういう生き方が社会の主流になっていくと思う。生き方が多様化していて、ロングテール同士がネットで繋って市場を形成できるのだから、仕事の枠組み自体も非常にロングテール化していくはずだ。
たとえば、身分として大企業の正社員でいる人の数はそれほど減ってないけど、大企業の中で正社員に払われるコストにふさわしい仕事をしている人の数は、相当減少しているのではないか。会社が丸ごと税金を強奪することで成りたっているような企業も多い。
そもそも、社会にとって有用な価値を創造してそれで稼ぐ企業が本当の一流企業である。そういう意味での「(本物の)一流企業の(本物の)正社員」というのは、本当は既にもの凄い狭き門になっているけど、既に入っている人が残っているから目立たないだけなのだ。
受け取る給与に見合うだけの価値創造に貢献してない多くの人が、自分の地位にしがみついている。そういう生き方自体を批判する気はないが、そういう人たちが自分の経験に基づいて生み出す言説は、社会にとって非常に害になるものだと思う。
価値を一切創造しない人にとって、自分の給料とは、他の誰かが稼いだ金を奪うことでしか得られないものだ。確かに一定の価値を奪い合う生存競争は、熾烈なものになることもある。「世の中は厳しい、甘いもんじゃない」と言う人は、そういう競争の中にいる人だ。
それは、その人たちが生きる世界の中では真実なのだろう。それを否定するつもりはないが、その経験を社会全体のこととして一般化するのはどうだろうか。
大企業の中で、大した価値を生まずに正社員の給料をもらっている人たちは、そのことを否認した上で、自分の信念を組み立てているのではないだろうか。そういう人が、わずかながらでも自分で価値を創造しそれで食っていくという、WEB自営のような生き方を認めることは難しいだろう。
もちろん、価値を創造するということも簡単ではない。「創る」ことにも厳しい競争がある。それを含めて「世の中は厳しい」というなら、それは筋が通った意見である。
ただし、「奪い合う競争」の中での厳しさと、「創り合う競争」や「つながり合う競争」の厳しさは全く別のもので、厳しさは避け難いとしても、どちらの種類の厳しさを取るかは選択できる。
そういう前提を置いた上で、「どちらの厳しさも拒否して、親のスネを齧り続けるモラトリアムなチキン野郎が、最終的に社会に放り出されて直面するのは、創りあう競争である。そこで道を切り開くしか生きる道がないように、世の中の仕組みが変わりつつある。なんとかして自分自身の中から価値を見出すしかない。生きていく為には、そこから逃げることが許されないのが世の中というものだ」というような意見を言う人がいたら、それは傾聴に値すると思う。
そういう意味では、21世紀は厳しい時代であり「世の中は厳しい」というのは真実なのかもしれないと思うけど、脳内に構築した20世紀の世界の中に引きこもって、他人の価値にぶらさがって生きている人間には言われたくないだろうね。
私自身は、自分が生きる為になんらかの価値を生み出すことは、誰にとっても簡単なことだと考えている。
企業の中には、それをつぶす為の仕組みが何重にも張り巡らされているから、そういう試練を全部くぐり抜けて価値を創造するってことは大変なことだと思うけど、ネットの中には、逆に価値を引き出し育てる仕組みがたくさんあり、今もどんどん生まれている。それを通して見れば、多様な価値とそれを評価する人々がいくらでも見つかる。だから、ネットの中を見てれいば、価値を生み出すことは簡単に思えてくる。
はじめまして。 大変面白い意見ですね。 将来の自分の行き方について悩んでいたため、すごく参考になりました。 ありがとうございました。
ニッチ社会に生きる。これまでニッチの分野で生きていくには、分母が多い東京などの都会に行くしかなかったです。でもネットができて世界中がつながるようになったおかげで家の中だけでもニッチの分野で生きていく方法が見つかった気がします。
『兼業も含め10万人いるなら、アーチストを目指すことは、「誰にでも可能とは言えないが努力次第では充分可能であり、現実性を考慮しつつ多少高めに置く人生目標としては適切なレベルの夢」になるだろう。』ってさ、まず、10万人ってすごいエリートだよ。東大って、1学年3千人くらいだから、それが33年分で大体10万人。一部上場企業の従業員数計算してごらん。よっぽど楽だよ。才能のある人は大資本に頼らなくても成功する可能性ができる、ってこと。インターネットやテクノロジーがあれば、才能なくてもみんなアーティストになれるわけじゃないし。なんか世間知らずの理系的考え方だなあ、と思ってしまいました。ごめんなさい。
希望格差社会という本を読んでいてフラっとたどり着きました。重力に魂を引かれた人々ならぬ、20世紀の価値観にぶらさがる人々、というわけですね!!
『価値を一切創造しない人の、他の誰かが稼いだ金を奪うこと』ネット社会の発展は否応なくこの種の人々の取分を減らして行く。どのような立場であれ、『「世の中は厳しい」なんて大嘘』と言える自由を獲得するヒトが少しずつ増えていくこともどうやら間違いない。ポジティブな気持ちをありがとう。

 

[ 334] 喪男に厳しい藤子A先生 - 愚仮面
[引用サイト]  http://d.hatena.ne.jp/derorinman/20060719/1153301955

どこにでもいる喪男予備軍のサラリーマン・青井達夫(22歳)は、会社で完全にはぶられており、飲み会も「お前は来るな」といわれる毎日を過ごしていた。
狭いアパートに帰り、中島みゆきの「ひとり上手」を聞きながらボソボソとメシを食べていると、孤独に耐え切れず一人嗚咽してしまう。
と、そこに喪黒福造なるセールスマンが現れる。その名刺には「ココロのスキマ…お埋めします」と書かれている。
「高いビルがどんどんたつのに比例して孤独な人間もどんどん増えております。孤独な老人孤独な女性孤独な青年そして孤独な少年までも……わたしの仕事はこういった淋しい人たちに夢と希望を与えるステキなおともだちを紹介することなのです。例えばあなたには…」
ということで美女の写真を見せられた達夫は、まんま出会い系サイトなことを言う喪黒にとまどいながらも、テープレコーダーに録音された彼女の声とお話したり、彼女と自分とのコラ写真をつくってもらったりして楽しむ。
心臓を高鳴らせて公園に向かうと、ベンチに彼女が座っている。辛抱たまらずに一気に駆け寄ってその手をとったが、違和感に気づく。
ということで「笑ゥせぇるすまん」より第一話「ともだち屋」を紹介したのですが、A先生の喪男への厳しさがお分かりいただけましたでしょうか。
「喪男がモテそうになるなんざ、それは絶対に悪意ある人間による美人局じゃー!」というA先生の透徹した現実認識は、やはり伊達に藤子不二雄でないなと思いますね。
夏の葬列なんかをみていると、一般人やオタクだけでなく、喪男もまた藤子不二雄ならF先生の方が好きなようにみえます。ネタにしやすいからでしょうが、F先生の作品の根底に流れる喪スピリットがなにかを感じさせるのでしょう。
しかしF先生の作品は基本的に救いがあり、黒い話でもコミカルに描くので口当たりが良いため人気があるようですね。
確かにA先生は口当たり最悪というか、「カカオ99%チョコ」くらい食う人を選ぶ部分があるので万人にはオススメできない。
しかしながら、ハッピーエンドで終わる作品を見るだけで胸がムカムカしてしまいには涙が出てくる、喪な作品を読んでも主人公の喪男が女にちょっとモテるシーンがあるだけでリアリティを全く感じなくなるというような、相当疲れてる人には合うかもしれませんよ。
なにせA先生はそんじょそこらの喪男漫画家と違って、殆どの場合喪男を甘やかしませんからね!まあイケメンも大概甘やかさないんですが。
とにかくA先生は「喪男が良い目を見るわけないだろ!見るとしたらそれは絶対更なる不幸への序曲なんじゃー!」という強迫観念にとらわれているとしか思えないような作品を描くのでオススメです!
2006/07/19 22:08 蓮海先生の小説に「他人の幸せなんてイラっとするだけ」という一節がありましたが、物語においてハッピーエンドになる主人公に自分を重ね合わせて擬似的に幸せになるのと、蓮海先生のように救いのない話に共感するのとどちらが幸せなのでしょうね。どちらの道を選ぶかは、やはり自分のルサンチマンをどう昇華するかによるのでしょうか。
2006/07/20 23:18 >kuyukuyuさんどもです。>原作の「ブラック商会変奇郎」の主人公はもみ上げの発達したプロゴルファー猿みたいな顔あれ、そんなんでしたっけか。変奇郎はなぜかイキナリ満賀道雄が出てきてズコーとなった記憶ぐらいしかなくて…それで「変奇郎がイケメンだったから喪男を出すために満賀道雄を出したのだ」とか勝手に記憶を捏造してました、スイマセン(’A`)それはそうとありましたね、ジャニタレがやってたドラマ。>アニメは確かに「笑ゥせぇるすまん」だけど、漫画は「黒いせぇるすまん」だよう。「魔太郎がいく!」じゃなくて「魔太郎が来る!」もしくは「魔太郎が翔ぶ!」だよう。笑ゥせぇるすまんも変奇郎もジャングル黒べえも黒人差別に繋がるからタイトル変えたんですっけ。とりあえず家にある文庫版は「笑ゥ」だったんでそっちにしました。…魔太郎は普通にまちがえました(’A`)>ああ、こんな重箱の隅をつつくようなコトばっかするから、おたく人種は嫌われるんだ。判っているんだ。でもやるんだよ!ううむ、なんだかよくわからんが凄い自信じゃ!でもリチャード・ストールマンが「そういう精神がフリーソフトウェアと自由な社会を切り開いていくんじゃ」って言ってた!>fm2さん>物語においてハッピーエンドになる主人公に自分を重ね合わせて擬似的に幸せになるのと、蓮海先生のように救いのない話に共感するのとどちらが幸せなのでしょうね。後者はダウナーに幸せな気分になりますよね。鬱気持ち良いというか。>どちらの道を選ぶかは、やはり自分のルサンチマンをどう昇華するかによるのでしょうか。難しい問題ですが…どうしてハッピーエンドの方を好むのか、あるいはバッドエンドを好むのか…誰もハッピーエンドが嫌いなわけではないと思うんですよね。みんなハッピーエンド自体は好きだと思うんですよ。だた「どこまでいっても他人のハッピーエンドだからむかつく」というだけで。しかし、うーん…難しい問題です。イヤハヤ南友。
2006/07/21 00:13 >kagamiさんどもです。>「絶望」みたいな鬼畜エロゲが好きなんですが、最近はそういうエロゲはあまりでませんね…。ド鬼畜エロゲー最後の砦のたっちーも、最近は(あくまで割と)鬼畜度の低い作品ばっかりですしね。>昔のエロゲはA先生テイストだったんですが、最近はF先生テイストといったところでしょうか…。ブログのほうも拝見させていただきました。大変興味深かったです。最近、トラウマを植えつけられるような作品をあまり見かけませんね、エロゲに限らず。トラウマちっくな描写の作品は多いですが、単に露悪的なだけだったりすることもまま有りますし。まあキチガイな作品はキチガイにしか売れないってんで作んないだけかも知れないのですが…にっかつロマンポルノがごとく「エロさえ入ってれば何でもアリ」なのがエロゲーの良い所の一つだと思うので、エロゲー作る人たちには頑張っていただきたいです。>よって蓮海先生に期待です。メディアクリップ社は大丈夫なんですかね…>毒蝮麭麺さんどもです。>まんが道はF先生の方が喪男じゃありませんでしたっけ。A先生…もとい満賀道雄は、霧野涼子(だっけ?)と池鶴関係になった挙句、妻子ある年上の男性に寝取られてしまいには自殺されるっていう喪男ぶりでしたよ。才野の話で喪男というと…スイマセン、覚えてないです(’A`)
2006/07/21 00:57 そうですか。でも、女性と何らかのエピソードが有った分、喪男って印象が薄いんですよね。A先生。まぁ私が観たのが原作でなく、男前の竹本孝之が演じてたA先生(満賀)だから余計にそう思うのかもしれませんが。F先生(才野)は浮いた話もなくニートになっちゃって、しかも演じてたのがフツオだから、喪男というかひきこもりに近い印象を抱きました。

 

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