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厳しとは?/ アットローン

[ 303] ITmedia ライフスタイル:日本のコンテンツ保護は厳しすぎる――なぜ戦わないのか? (1/3)
[引用サイト]  http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0406/21/news003.html

先週に引き続き、Intelの著作権政策責任者であるホワイトサイド氏らと、日米のコンテンツ保護格差を考えてみる。彼らから問われたのは、日本の著作権保護が米国に比べて厳しすぎるのに、なぜ日本のコンシューマーは戦わないのか、という耳の痛い話である。
先週から、Intel副社長であるドナルド・ホワイトサイド氏と、デジタルホームコンテンツ部門ディレクターのジェフリー・ローレンス氏のお話しを伺いながら、日米のデジタルコンテンツのあり方などについて考えている。
今週はさらに放送コンテンツと音楽の世界にもスポットを当てて、コンテンツビジネスにおける今後の行方のようなものを考えてみたい。
デジタル放送が始まる前の段階では、コマーシャルはコピーフリーにしたらどうかとか、番組によってジェネレーションコピーを使い分けたらどうかという議論もあった。だが現時点で日本のデジタル放送に掛けられているコピーコントロールは、すべてのコンテンツに対して「コピーワンス」だけだ。
将来的にはもっと緩やかになるといった希望的観測は捨てよう。ユーザーがなにも言わなければ、「なんだーそれでオッケーなんじゃーん」ということで何も変わらないのが、日本の放送業界である(関連記事)。では米国のデジタル放送のコンテンツ保護は、どうなっているのだろうか。
ローレンス氏:「米国の場合は、ユーザーはたくさんのコピーを自分のホームネットワーク内で行なうことができ、広く柔軟性というものが与えられています。ただし、無差別なインターネットへの配信だけは認められていません」
「こういった状況があるからこそ、デジタル放送という新しいテクノロジーを支持するインセンティブが働き、急速な普及へとつながっていきました。コンテンツ保護技術で、コンテンツが盗まれることを防止することができますし、しかもコンシューマーには、個人利用に対する期待を満たすことができる。また家庭内での自由度があることで、メーカーにとってもビジネスチャンスがあります」
米国でビデオレコーダーの大手といえば、まず最初にTiVoが思いあたる。確かにTiVoでは、家庭内にある数台のTiVoマシンをネットワークで接続し、お互いが録画したコンテンツを自由にコピーできる。例えば日本でもこのような状況になれば、便利だと思う人もいることだろう。だが、ちょっと平均的日本人が考える利用とは、ズレているような気がしないでもない。
それは住宅事情などいろいろな要素が絡むが、日本では、米国のように各部屋からトイレに至るまでテレビがあり、レコーダーもそれぞれに付いているという状況ではない。むしろAV機器はリビングに一点集中する傾向があり、それ以外の場所での視聴のためには、専用ポータブルデバイスやパソコンを使う、という利用形態になるのではないだろうか。
ということは、やはりPCでもポータブルデバイスでも使える、汎用性のあるメディアへのコピー保存、そしてそのメディアを以て、ライブラリー化するというやり方がなじみやすい。レコーダーのHDD同士でコピーできたからそれがなんじゃい、という話だろうと思うのだ。
レコーダーのHDDにコンテンツが存在するというのは、保存とは違う。それは視聴の便宜のためにあるわけで、「一度見たら終わり」ということができる人へのソリューションである。だがわれわれは、メディアに格納して物理的にコンテンツというソフトウェアをパッケージ化するところに快感を得る民族性なのである。
そう考えると、米国のコンテンツ利用のあり方だけを模倣しても、日本人の気質にあったコピーコントロールの形態にはならないのではないだろうか?
最近、個人的に注目しているのが20〜16インチ程度の小型液晶テレビだ。以前は小型テレビといえばコスト最優先の製品ばかりで、画質に関してはさほどケアされていないものが多かった。ところが最近は事情が変わっている。
今年はオリンピックイヤー。かつてほど爆発的に売り上げが伸びるわけではないが、それでもやはり通常期よりは市場は盛り上がるため、各社は商機を逃がすまいと、独自の戦略で新製品を投入している。まずは東芝とパナソニックを取り上げ、新製品の傾向を探ってみたい。
ソニーのBRAVIA「M1シリーズ」は、ポップなスタイルと豊富なカラーバリエーションを持つパーソナル液晶テレビ。単に大型テレビをスケールダウンしたような製品が多い中、明らかに小型テレビのために設計されたデザインだ。その外観と機能性をチェックしていこう。
春は、入学や就職のために新しい生活を始める人がもっとも増える季節。部屋のふんいきを決めるテレビの選択には少し気合いを入れたいものだ。そこで今回は、一人暮らしや個室利用に適した20V型前後の液晶テレビを紹介しよう。

 

[ 304] カプコンとSNKの必殺技コマンド入力判定の厳しさの差を検証 - うさだBlog / ls@usada's Workshop
[引用サイト]  http://lovelove.rabi-en-rose.net/blog.php?n=337

レバーが一定のフレーム内に入力されたあと、さらに一定のフレーム内にボタンが押されればコマンドとして成立する。レバー入力の猶予は236や623といった3方向系コマンドでは11フレーム。より長いコマンドについては調べてないので不明。ボタン入力の猶予は技の強弱で個別に設定されており、小の方が長く、大の方が短い。最後のレバーが入力されたフレームで同時にボタンが入力されても問題ない。
初代に比べてレバー/ボタン判定共に厳しくなっている。コマンドが成立するか否かに1フレーム前後の揺らぎがあり、中途半端な加速度のTurboと整数精度しかないフレーム処理の間の整合性の問題か、または正規のフレーム数を越えてレバーやボタンが入った場合でもランダムに成立するという曖昧な動作の、どちらかが存在すると思われる。表を作る上ではおそらく100%出ていると思われるフレーム数を採用した。猶予フレームはTurbo値に関係なく一定で、ゲームスピードが上がる事によって直接的にコマンドが成立しにくくなる事はない。
スパ2Xと異なり、Turboが上がるほど入力の判定が厳しくなる。Turbo0で初代並、Turbo2でスパ2X並といったところ。技の強弱による猶予時間の差は無い。入力遅れに対するランダム発動の幅がスパ2X以上に広がっており、正確な値を調べるのが困難。スーパーコンボであってもレバー入力の猶予が大して長くならないので若干出しにくい。
今回調べたSNK系ゲームの中で唯一スト2と同じアルゴリズム(レバーとボタンを個別判定)を使っている。ただし判定時間はカプコン系で一番厳しかったスパ2Xよりもさらに厳しい。強弱による猶予時間の差は無し。最後のレバーが入力されたフレームで同時にボタンが入力されても問題なし。本検証とは関係ないが、2147系を生で出す場合、最後のレバーと同時または1フレーム遅れの2フレームの間にボタンを押さないとジャンプに化けるため、非常に出しづらい。同じ理由で、立ちブレイクスパイラルは理論上可能ではあるが、斜め上を入れたあと次のフレームで下とB+Cを同時に入力しなければならないので、かなり難しい。
レバーとボタン全てが一定のフレーム内に収まっているか否かで判定。判定フレーム数は技とその強弱によって個別に設定されている。今回検証したゲームの中で唯一最後のレバーが入力されたフレームで同時にボタンが入力されると失敗と見なされ技が出ない。また、それとは関係なく稀にちゃんと入力しているのに出ない事がある。原因は不明。
レバーとボタン全てが一定のフレーム内に収まっているか否かで判定。最後のレバーが入力されたフレームで同時にボタンが入力されても問題ない。コマンドが入りにくい事で有名なKOF96だが、受け付けフレーム数だけを見れば別段厳しくはない。コマンドの途中に余計なレバーが入ると出ない、という事もない(6321436C等でも問題なし)。ただしレバーは全方向をチェックしており、1レバーでも飛ばすと失敗と見なされる。これが「厳しい」と感じさせる唯一の要因のようである。
レバーとボタン全てが一定のフレーム内に収まっているか否かで判定。KOF96の反動で、今度は暴発しすぎる事で有名になったKOF97は、半回転を越えるコマンドが大抵かなり簡略しても出る。なぜか一部の技(確認した限りで天地返し)だけが、最後のレバーとボタンを同時に入力すると失敗と見なされる。理由は不明。
レバーとボタン全てが一定のフレーム内に収まっているか否かで判定。レバーの評価はKOF96ともKOF97とも異なり、基本的に斜めを見なくなっている。前作に引き続き、一部の技(確認した限りで天地返しと地獄極楽落とし)は最後のレバーとボタンを同時に入力すると失敗と見なされる。
レバーとボタン全てが一定のフレーム内に収まっているか否かで判定。最後のレバーが入力されたフレームで同時にボタンが入力されても問題ない。全体的に甘めだが、なぜか全ての技の中で「死を恐れぬ心也」のみやたらに判定が厳しい。
通常必殺技はレバーとボタンが分離されたスト2と同じアルゴリズムだが、超必殺技のみ全体1セットのSNK方式という、何だかよく分からない仕様。最後のレバーが入力されたフレームで同時にボタンが入力されても問題ない。
根本的な違いとして、カプコン系はレバーの成立とボタンの成立を分離して判定しているのに対し、SNKは大半のゲームでレバーとボタン全体をセットにして判定している。コマンド入力の難しさというのは基本的にレバー側の問題であるから、この事はコマンド入力のしやすさとは直接関係はない。が、このアルゴリズムの差により、カプコン系格闘ゲームでは「レバーだけ先に入力しておいて実際に出すかどうかを一瞬で再判断する」という事が可能なのに対し、SNK系格闘ゲームではそれが出来ない。
今回検証した中で餓狼伝説SPECIALと餓狼MOWは例外で、両者ともスト2と同じアルゴリズムを使用している。餓狼伝説シリーズは伝統的にこのアルゴリズムを使用していたという事かもしれない。

 

[ 305] 「相次ぐWinnyによる情報漏えい,原因の一つは厳しすぎる社内ルール」---ISS:ITpro
[引用サイト]  http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20051124/225126/

インターネット セキュリティ システムズのCTO兼エグゼクティブ セキュリティ アナリストの高橋正和氏[画像のクリックで拡大表示]
「個人情報保護法が全面施行されても,情報漏えい事故は減っていない。特に,Winny(ウィニー)による情報漏えい事件が相次いで報告されている。漏えいさせたユーザーに問題があることはもちろんだが,業務実態を考慮していない社内ルールが原因の一つである場合もある」---。インターネット セキュリティ システムズ(ISS)の最高技術責任者(CTO)兼エグゼクティブ セキュリティ アナリストの高橋正和氏は11月24日,報道陣向けのセミナーにおいて,個人情報保護法施行後の情報セキュリティの現状などについて解説した。以下,同氏の発言内容の一部をまとめた。
個人情報保護法が全面施行された4月以降,ファイル共有ソフトWinnyによる情報漏えい事件が頻発している。例えば,原子力発電所に関係する情報漏えい事故が3件も報道されている。漏えいした情報一つひとつはそれほど深刻なものではなくても,重要インフラ防御の観点からは,漏えいしたという事実がとても深刻である。
WinnyをインストールしているPCで業務データを取り扱ったことは,そのユーザーの過失であり,責められるべきことである。だが,厳しすぎる社内ルールが,個人のPCで作業することを余儀なくしているケースもある。例えば,それまでは会社のノートPCの持ち出しを許可していたのに,個人情報保護法の全面施行に合わせて,持ち出しを全面禁止にした企業は少なくない。
禁止するだけで業務に関する要求スピードが変わらなければ,社員としては会社から貸与されるノートPC以外の手段で業務をこなさなければならなくなる。その結果,データだけを持ち帰って,趣味で利用している自宅のPCでこっそり作業することになる。
業務上不可欠な手段を「情報漏えいの危険がある」という理由だけで禁止にすることには無理がある。社員は,会社の管理下にない代替手段を用いて業務を遂行しようとするだけだ。例えば,ノートPCを持ち歩くことが業務上必要な社員に対しては,暗号化やセキュリティ・ソフトを導入するなどした,会社の管理下にあるノートPCの利用を許可したほうが,情報漏えいのリスクを軽減できる。業務実態とかい離した厳しいルールは,リスクを増大しかねない。
「“安全”なプログラム判別に世界180カ国のセンサー・ネットを活用」,米シマンテックの分析担当ディレクタ
製品&サービス・ディレクトリ業務アプリケーション設計開発OS/DB/ミドルウエアサーバー/ストレージ
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[ 306] 一般人の裁判員は犯罪者に厳しすぎる。弁護士と検察官の常識が通用しない:アルファルファモザイク
[引用サイト]  http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51259752.html

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エロゲメーカー「規制云々以前に(Winnyなどの被害で)業界は風前の灯火…ほとんどのメーカーはいつ倒産してもおかしくない状態」
来春から始まる裁判員制度に向け、市民が審理を見たうえで、裁判官と一緒に判決をどうするか考える「模擬評議」が各地で行われている。「量刑相場」を市民に示した方がいいのか、評議をまとめる裁判官の役割をどう考えるか。これまでは法律のプロだけで進んだ裁判の常識が通用しないなかで、市民の意見を聞きながらの模索が続いている。
昨年、福岡地裁であった模擬裁判の評議では、交際相手を殺害した女性被告の量刑が議論になった。裁判員役の20代の女性は、被告の母親役の「出所したら、家族として迎え入れて普通に暮らしたい」という言葉に強く反発。「他人の家族を壊しておいて『普通に暮らす』とは虫がよすぎる」と考えたからだ。
この様子を別室のモニターで見ていた検察官や弁護士は驚いた。「身元引受人がいるのは被告にとってプラスの情状のはずなのに」「僕らのこれまでの常識が通用しない。裁判官より裁判員の方が犯罪に厳しい」
争点を絞り込み、進展を促すと「誘導」と批判されかねない。逆に「放任」すると、議論は盛り上がるが時間不足に陥る。
仙台地裁では、二つのグループに分かれて模擬評議を行い、結果を比べてみた。裁判官が争点を示し、議論を取り仕切る方法がとられたグループでは、裁判官の指名を受けて裁判員が意見を言い、目標の1時間で事実認定まで進んだ。ところが、裁判員役の間では「私たちの意見はいらないのではないか」と不評だった。
一方、議論の行方が裁判員に委ねられたグループでは、白熱したものの、時間を30分以上延長しても事実認定に至らなかった。
「国民が納得してなかったらどんな権力にもブレーキをかけましょう」って考えはあまり日本国民の中には浸透してないよね?
それでもそれがこの国のシステムだといえるの?一握りの法学学んだ人だけが知ってる概念がこの国の根幹ってのは健全なのかな?
封建主義のまま、民主主義制度を形だけのっけて、マスコミが第4の権力になるポスト民主主義の時代に入ったからグチャグチャだ。
わざと教えてないんじゃないか・教えないほうが権力側にとって都合がいいんじゃないか、っていう陰謀論もあるが、
アメリカの陪審員制度ははなから「警察も検察も裁判所も信用できないから俺らが参加する」っていう思想で出来てる。
民主主義の根幹は議論なのに、日本人は議論が出来ない。反対意見を出されると、人格を否定されたように怒りはじめるし、相手に分かるように自分の論点を示すのも下手。
男女の健全な付き合いとは、交際の中で結婚という言葉が出ているか否か(ちょっと違ったかも)、みたいなのとかね
そのくせ強制力が異常で、一般的な社会人に拒否権はない上(リーマンとか会社休んででも出ないとダメ)、救済処置も十分とは言い難い
裁判てのはそうではなくて、たとえば刑事事件であれば、逮捕・起訴された被告人(=少数派)の権利救済として事実解明がなされるべきであって、
結局議院ってのは何がしたいの?金が欲しいんだよね?情報がまったくない(調べようのない)から意図がわからない。絶対に欠陥だらけだということが目に映っているのに決定したからにはなにか目的があったんだろうな〜。なんだろう?
感情論は印象に基づいた先入観の比重が大きすぎる。あくまで理性的に裁判の趣旨(国の治安の維持)を理解して行うべき。
被告が冤罪の可能性、生い立ちの幸不幸についても量刑の判断に加えるべきだしだからといって被告の不幸な身の上話だとかがあったとしてそれに簡単に流されて無罪なんてのもアウトだな。
別に法律の専門家でなくてもいいから、せめて自分の頭で考えて、分からなければ調べるくらいはして欲しい。議論すら出来ず自己主張のみの奴が多すぎ。議員は日本国民がこんなに頭悪いって知らないんじゃないかな。
知りたいのは、例えばある殺人事件の場合国民の判断基準はどこなのか。「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。」法律と特定の事件を国民が論理的に熟考した場合、この事件ではどういう判決が妥当だと思えるのかが知りたいんだよ。
人何人も殺しても精神状態が(ryとか言って何年かですぐ出てくる奴を一生出て来れないようにとか出来るんだし
ただ、事前に被告はなぜ犯罪を犯したのか、どういう経緯でこうなったのかを裁判員全員に正確に話しておかないと間違い無く極刑すれすれの判断をされるだろうね。
裁判官って言うのは選挙で選ばれているわけでもない。法学の世界では、裁判の結果を正当化する根拠は「国民の信頼」だと言われている。裁判制度が国民の信頼を得られるようにいろいろ努力した結果がこれってわけ。
結局著作権法みたいに裁判官が「あー、いろいろご意見はありましたが…」と予め作った判決出してくるんじゃないか
しかも人選は一般的なサラリーマンとかが時間的に出れないから、社会に出てなく、社会を支えてない層が社会を支えてる法を決めるって事だ。
いきなりこんな極端な事考えた馬鹿は誰だ?密室化されてるような法廷を少しずつ開放していく事から必要だろ・・・
官僚は馬鹿、弁護士は能無しなんていっても、頭のできは俺たちより数倍いい連中なんだから。問題は本気を出さずになまけることと、豚が理解してくれないことだろ。
もしくは断れないなら断れないで報酬(月収から日給計算したそれ以上の報酬や待遇)や立場や地位の保障をしっかりしないと駄目。
だいたいね、感情だけでものを言うとか脳内ルールをモラルやマナーなんて言う一般人に陪審員なんてさせては駄目なのよ。
なんつうのかなあ、講釈たれてる人がいるけど、俺が言いたいのは、無知だったり感情的に判断したり流され易かったり、自分の価値観だけで正義面する成熟していない人間が日本には多いのにこんな制度には無理があると言いたいんだよね。
冤罪なんてのは悪意のある人間が作り出すか、自分の正義に自信をもってる奴が正義面して他人の意見を鵜呑みにし生み出すもんだろ。
もいっそのこと裁判員制度や法律関連の萌えアニメを作ったら理解力があがるんじゃないか?法務省監修のもとにさ んで意見をこういうところで集めればいい
肩がぶつかったから殴ったとか、泣き止まないから虐待したとか、ムカついたから殺したとか、ブログに悪口書かれたから喉掻っ切ったとか・・。
ただ、議論されているのは、殺人や傷害のようだけど、この陪審員制度っていうのは、この手の犯罪だけに適用されるんですか?
一番心配なのは、裁判所前に張り込んで裁判員と思しきやつらにあること無いこと吹き込んで判決を操作しようとするプロ市民かな。
たとえ殺人を犯したとしても、判決にしたがって罰を受けたものは社会的には罪がなくなったも同じ、という考えはネットでは異端?
むしろ色々生活で過去を隠したり、ばれたら差別されたり(多分俺もするが)取り決め以上の罰を与えられていると思う。まぁそれも含めて償いなのかもしれないが…
甘いとか正義を徹底しろというなら、裁判官や政治家になるなり市民活動するなりしろ、と。裁判員制度はその結果だろうし。
今の決まりではルールを守るように破ったものにおしおきがある。かつて犯罪を犯したとはいえ償えば、社会で安全に生きる権利が保障されている。その権利を侵害するのは犯罪。ルールは守らなきゃいかん、不服なら改良する術は残されてる。
まぁ裁判員制度もルールなわけだし、この仕組みに文句はいわん。ただ「犯罪者に人権はない」なんていってる感情丸出し人間が司法に大きく関わってくることが怖いだけ。
法学部で低成績しか修められなかった俺でも、裁判の場にパンピー入れ込むってのはイマイチ良いとは思えんね
ハッキリ言って俺らは裁判の場に強い権限を持つべきではない。裁判の場に世情なんて持ち出すこと自体間違ってる。
例を示すなら「精神鑑定の結果、責任能力が無いため〜」て奴を精神鑑定の結果に関わらず罪は罪とするように改正するように求めるとかな。
一般人が犯罪に厳しすぎるから、司法が犯罪に緩くても日本の治安はある程度保たれていると言える。最近は言うほどでも無いけど。法律でいかに刑が軽く済もうとそれ以降は社会的に抹殺だからね、日本の社会は。痴漢犯罪なんていい例でしょ。だから民が民を裁くという意味では裁判員制度なんか無くったって別に問題無いと思う。
裁判員制度が本領を発揮するのは、対権力者の時じゃないかな。一対一ではどうしても一般人が勝てないような裁判をする時こそ世論をぶつける必要性があるんじゃないかと。
一応建前としては公平な立場の裁判官が検察と弁護側の主張を通して有罪無罪→量刑を決めるシステムなんだし
そんなことよりあきらかなダメ裁判官の罷免とか弁護士資格の更新制度とか現状に合わない量刑の改定とかやるべきことやできることはたくさんあると思うんだがw
上でも挙がってたが、「それでも僕はやってない」のような痴漢の冤罪が起こった時、裁判員にスイーツが多数いたら重い罰にされるのは目に見えてるな。
犯人が明確かつ凶悪な事件なら厳罰にされても仕方が無いが、事件の容疑者などの犯人が明確でない案件にも心情だけで厳罰を要求するようにならないだろうか?
「初めに処罰ありき」ではなく「初めに真実ありき」と考えて望まないと、とんでもない事態を引き起こしそうだな。
そういうのを排除するために提示されたものだけで真偽を出来るだけ判断して、出来るだけ冷静に判断させようというのが理想的な法律の世界のはずなのに、
子供のころ姉といつも風呂に入ってて過保護だったせいか、いつも体を洗ってもらってた。:アルファルファモザイク

 

[ 307] 打ち切りと再挑戦することの厳しさについて - ラノ漫―ライトノベルのマンガを本気で作る編集者の雑記―
[引用サイト]  http://d.hatena.ne.jp/m_tamasaka/20071106/1194368996

※注:このエントリはフリーランスの編集者の、一個人としての意見にすぎません。電撃文庫の方針とは全然まったくこれっぽっちも関係ありませんので、ご注意ください。
某工場長が先物に手を出そうとしていると聞いて、黒岩重吾のことが脳裏をよぎった多摩坂です。工場長、先物だけはいけません。ご自愛ください。
さて。タモリさんはデビュー前にいろいろな経緯があって(経緯についてはこのへんをご覧ください)、赤塚不二夫さんの家に居候していたことがあります。タモリさんの居候生活は、赤塚さんの家賃17万円の4LDKのマンションに住み、服も車(ベンツ)も赤塚さんのものを使い放題。さらには赤塚さんから毎月3万円(20万円という説もあり)の小遣いを渡されるという、至れり尽くせりのものでした。
タモリさん自ら「日本史上、最後の居候」と称する豪快で破天荒な生活でしたが、このことについてパトロンであった赤塚さんは次のように言っています。
この男をなぜこういうふうにしていたかというと、才能なんだよ。俺はこいつの才能を見込んでたんだよ。だから、なにがなんでも東京に置いておかないといけない、九州に帰しちゃダメだと思ったんだよね。そのためには何でもする、だから俺のマンションにもいろよとか言ったわけ。
タモリさんの芸はあまりに新しすぎたため、はじめのうちはテレビでなかなかウケなかったそうです。しかし、そのような状況にあっても赤塚さんはまったく意に介せず、タモリさんの支援を続けました。
また、刊行点数増加による競争激化、作家不足の深刻化といった問題もある。出版社にとって、差別化のために新人発掘とメディアミックス戦略の重要性がますます高まっている。
特に電撃文庫では、新人賞受賞しても売れなかったら3巻あたりで打ち切られる、という話をよく聞きます。
その様な“捨てられたけど書きたい作家”に書かせず、新人さんばっかりホイホイ出して売れなかったら捨てる業界そのものの仕組みが理解できません。
新人作家が失敗作を作るのは、新卒が就職活動に失敗するのと同じくらいいけないことです。どちらも失敗したからといって即人生終わりというわけではありませんが、失敗後の活動は当然のことながら非常に厳しくなります。
のです。なお、上のレビューで紹介されている鈴木みそさんの「銭」1巻は、マンガやアニメ業界の金勘定の話が載っていますので、興味のある向きはご覧になるとかなり勉強になるかと思います。
しかしながら、id:kuroradiさんが言うように、失敗した作家が全員使い捨てにされているかというと、そんなことはありません。編集者が本当に見込んだ、惚れこんだ作家には次の機会が与えられます。実際、某冨樫さんがあれだけ好き勝手やっても干されないのは、くやしいけれども彼が描く作品が本当に面白いからです。
チャンスを与えられたにもかかわらず、勝たなければいけない勝負に負けてしまったからには、相応の辛酸は舐めなければなりません。そして、新人が次々とデビューしてくる中にあって、再びチャンスを得られるか否かは、タモリさんや某冨樫さんのように「彼を手放すわけにはいかない」と思わせるだけの魅力や実力が備わっているかにかかっているのです。

 

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